ブッダ(お釈迦さま)の生涯をたどるこのコラムでは、前回は「ブッダ(お釈迦さま)が出家を決意するきっかけとなった出来事」について触れていきました。
では、その後のブッダ(お釈迦さま)の生涯はどのようなものだったのでしょうか。
前回の続きをつづっていきましょう。
<どのような行動も、ブッダ(お釈迦さま)に止めることはできなかった>
ゴーダマ・シッダールタ(お釈迦さま)が見てきたものは、ゴーダマ・シッダールタ(お釈迦さま)が出家するのに十分なものでした。
しかしブッダ(お釈迦さま)は身軽な身ではありません。このときすでにブッダ(お釈迦さま)には妻と子どもがいましたし、何よりもブッダ(お釈迦さま)は「シャカ族の王子である」という立場がありました。やがて王になることを定めづけられ、またその素質を十分に持っていたゴーダマ・シッダールタ(お釈迦さま)の出家を、周りの人間がおいそれと許すわけはありませんでした。
ゴーダマ・シッダールタ(お釈迦さま)の決意を知った王(ゴーダマ・シッダールタの父親)は、ゴーダマ・シッダールタ(お釈迦さま)を引き留めるべく、さまざまな催しを行います。
踊り子たちを宮殿に招き、音楽と踊り、そして豪奢な料理を提供します。しかし夜中になり、踊り子たちが踊り疲れて眠りふけっているのを確認すると、ゴーダマ・シッダールタ(お釈迦さま)は応急を抜け出しました。このとき、ゴーダマ・シッダールタ(お釈迦さま)は29歳でした。
これより、「シャカ族の王子」であったゴーダマ・シッダールタ(お釈迦さま)は、新しい道を模索していくことになります。長い間夢に見続けていた出家は、この王宮を飛び出したときに果たされたのです。
ここからは、「ブッダ(お釈迦さま)」としてのゴーダマ・シッダールタ(お釈迦さま)の人生を探っていきましょう。
<多くの師の元に行くも、ブッダ(お釈迦さま)の心は満たされない>
私たちの知るブッダ(お釈迦さま)は完全無欠の人のように思われますが、ブッダ(お釈迦さま)は最初から1人で悟りを開こうとしたわけではありません。ブッダ(お釈迦さま)はその生涯において、幾人かの師を持つことになります。
その最初の一人が、「バッカバ仙人」でした。そのバッカバ仙人は苦しい行い(苦行)に身を置きながら、天上で生まれ変わることを夢見ていました。バッカバ仙人が苦行を行う最大の目標は、この「天上で生まれ変わること」でした。
しかしブッダ(お釈迦さま)は、このバッカバ仙人のやり方に疑問を抱きます。ブッダ(お釈迦さま)は、「天上にあっても、その幸いは永遠ではなく、無限でもない」と考えていました。つまり、天上の幸いもやがて尽きると考えていたのです。そして天上の幸いが途絶えた後は、輪廻転生の象徴ともいえる「六道(天道/天上界・人間道・修羅道・畜生道・餓鬼道・地獄道)」にまた戻っていくのだと考えていました。そのため、バッカバ仙人はブッダ(お釈迦さま)にとっての生涯の師にはなりえませんでした。
次にブッダ(お釈迦さま)が頼りにしたのが、ウッダカラーマ・ブッダでした。しかしかれの伝える非想非非想処(ひそうひひそうてん。非想非非想天とも書く。無色の世界であり、多くの煩悩が存在しないが、まだわずかな煩悩が存在する。また、涅槃とは異なる)には至っているだけにとどまりました。つまりブッダ(お釈迦さま)は、彼を「まだ真の悟りを開いていないひとである」と考えたのです。
2人の師の教えに接したブッダ(お釈迦さま)ですが、彼らの理念や実行している事柄のなかには、ブッダ(お釈迦さま)の求める悟りはありませんでした。そのためブッダ(お釈迦さま)は、ここで「だれかから教えを乞うこと」はやめてしまいます。自分自身の手で、自分自身の苦悩のすえに、悟りを得ようとするのです。
<ブッダ(お釈迦さま)の苦行自体が幕をあける>
ここまでも十分にさまざまな苦しみや修行を積んでいくことになりました。
このときのブッダ(お釈迦さま)の苦行は非常に厳しいもので、直射日光をひたすらに浴び続けるものや、断食・呼吸の制限といった生命そのものに関わるものでした。
そのように過酷な修行をしていたにも関わらず、それでもなお、ブッダ(お釈迦さま)は悟りを開くことはできませんでした。ここまでの修行であってすら、ブッダ(お釈迦さま)を悟りに導くことはできなかったのです。
生命を維持するためのわずかな豆と水だけを摂取しながら苦行をしていたブッダ(お釈迦さま)は、やがてやせおとろえ、骨の上に皮がついているだけの有様となりました。断食修行はブッダ(お釈迦さま)の体をやせ衰えさせましたが、それでもなおブッダ(お釈迦さま)は答えを見つけることはできませんでした。
ブッダ(お釈迦さま)の、この過酷すぎる修行は、29歳から35歳までの、実に6年もの長きにわたり続けられてきました。
<ブッダ(お釈迦さま)の話で必ず登場する「スジャーター」の登場>
6年間の苦行の生活に、ブッダ(お釈迦さま)が折り合いをつけられたのは彼が35歳になってからでした。しかしこのとき、ブッダ(お釈迦さま)は過酷な修行によってすでに憔悴しきっていたと言われています。
このときに重畳したのが、「スジャーター(スジャータ、とも)」でした。彼女は偉人・聖人ではなく、近くの村にいた村娘でした。
彼女は、一杯の乳がゆをブッダ(お釈迦さま)に供しました。それによって、ブッダ(お釈迦さま)は気力と体力を回復させます。この乳がゆは今でも仏教の世界で大切にされており、仏教のお祭りの日にはこの乳がゆを振る舞うところもあります(なお余談ですが、乳がゆはそれほど難しいものではないため、家で作ることもできます)。またスジャータはコーヒー用のミルクポーションなどでもおなじみですね。
このときに受けた乳がゆの衝撃は、ブッダ(お釈迦さま)にとって忘れられぬものとなりました。この、一杯の優しい心遣いを見て、ブッダ(お釈迦さま)は「修行を厳しくやりすぎると切れてしまう。ただし、緩くやりすぎるとよろしくない。修行は適度な厳しさで行っていくべきものなのだ」と考えるようになります。
そしてこのときを境に、自分の体を過度に痛めつけるような修行は行わなくなります。
その後にブッダ(お釈迦さま)が行うことになるのは、「ボダイジュの下での瞑想」です。この姿は、数多くのメディアでも取り上げられているためわかりやすいかもしれません。座禅を組み、自分の心を見つめ、瞑想していくブッダ(お釈迦さま)を誘惑しようと数多くの悪魔が脅迫や誘惑をしていきます。
しかしそれでも、ブッダ(お釈迦さま)の気持ちは揺らぐことがありませんでした。やがてブッダ(お釈迦さま)は、ボダイジュの下で悟りを開くことになります。
ブッダ(お釈迦さま)の生涯は、順風満帆なところから始まりました。しかし子どものころから聡明であったブッダ(お釈迦さま)は、その順風満帆な生活がごく一時的なものであることに気づいていました。そしてその「気づき」が、夜の脱走に繋がり、師を持つことにつながり、苦行に繋がり、発想の転換へと変わっていくのです。非常に勇気のある判断だったといえるでしょう。
次の記事では、35歳以降のブッダ(お釈迦さま)の生き様に注目していきます。
(つづく)