〔あおき葬祭コラム〕第20回:ブッダ(お釈迦さま)の生涯(2)

投稿日 カテゴリ おあきの葬祭コラム, お知らせ, ブッダの生涯

ブッダ(お釈迦さま)の生涯として、ブッダ(お釈迦さま)が生まれたときの話をしてきました。

今回は、ブッダ(お釈迦さま)のその後の生涯について解説していきます。

<恵まれた世界で生きていたブッダ(お釈迦さま)>

ブッダ(お釈迦さま)は、生まれた後もシャカ族の王子として大切に育てられます。

ブッダ(お釈迦さま)を生んだマーヤー王妃は、出産後7日で産褥熱(さんじょくねつ。出産24時間後~10日以内に出る熱のことで、2日間以上にわたって38度の高熱が続く状況のことをいう。現在は子宮内膜炎が原因だともいわれているが、「なぜ感染するのか」などについては現在の医学をもってしても判断しきれないことが多い)で彼岸に旅立つことになりますが、ブッダ(お釈迦さま)の人生は順調そのものでした。

ブッダ(お釈迦さま)は、都であるカピラヴァストゥにてすくすくと育ちます。母であるマーヤー王妃とは生後間もないころに別れることになりましたが、母の妹であったプラジャーパティー(プラジャーパティとも記されることがあります)によって成育されることになりました。なお当時は、「身分の高い人は、姉妹がいた場合はその姉妹の両方と結婚する」という風習もありました。現在の「ソロレート婚(ソロラト婚とも)」とも近いしいのですが、妻が亡くなった後にその妹(や姉)と結婚する風習があったのです。このため、プラジャーパティーは、ブッダ(お釈迦さま)の父であるシュッドーダナの妻であったとも、また後妻であったともいわれています。

現在人の考え方からすると少し違和感のあることかもしれませんが、当時の人々にとってはごく当たり前のことであったのでしょう。ブッダ(お釈迦さま)はそのようななかで、聡明な人間に育っていきます。ブッダ(お釈迦さま)に対してかけられる周囲の期待は極めて強く、またブッダ(お釈迦さま)もそれにこたえるだけの力がありました。ブッダ(お釈迦さま)には専用の宮殿が与えられ、豪奢な衣服やさまざまな贈り物が寄せられました。ブッダ(お釈迦さま)のためだけの美しい踊り子や宴会が催されることも多く、彼の人生はまさに順風満帆といってもよいものでした。

そして彼は、19歳のときに(16歳のときとする説もある)、ヤショーダラーという貴人と結婚することになります。彼女は母方の従姉妹にあたる少女であり、「やしゅだら」と記されることもあります。出家前のブッダ(お釈迦さま)に嫁いだ彼女は、ブッダ(お釈迦さま)との間に、ラーフラという王子を設けることになります。

王子であること、周囲から大切にされたこと、またそれにこたえる力があったこと、妻と子どもに恵まれたことから、ブッダ(お釈迦さま)の人生は、このまま順調に行くものと思われていました。

しかし彼の人生は、この後大きく様子を変えていくことになります。

<恵まれた生活のなかでの懊悩(おうのう)と深い迷いについて>

順調に進むと思われていたブッダ(お釈迦さま)の生涯の前半は、ほかの人からみてもうらやむに値するものであったことでしょう。ブッダ(お釈迦さま)には恵まれた環境と、それに向き合えるだけの力がありました。

しかしこのようななかにあっても、ブッダ(お釈迦さま)の悩みは発生しました。そしてそれは尽きることがありませんでしたし、また深くなっていくことになります。

ブッダ(お釈迦さま)は、どれほど恵まれた生活に身を置いていても、「生まれた人間は、生きていく過程で必ず年老いて、病気に悩むことになり、そしていつかは必ず死によって終わりを迎える。これはだれひとりとして例外がなく、すべての人に訪れる苦しみである」と考えざるを得ませんでした。

これは現在の仏教観にも通じることであり、またブッダ(お釈迦さま)はこれ以降で続くことになる修行のさなかでこの苦しみに向き合いその苦しみから解脱する方法を会得していくことになります。

しかしまだ青年期にあったブッダ(お釈迦さま)にとっては、この悩みは深く思い悩むに値することであり、またこれこそが「シッダールタ」が「ブッダ(お釈迦さま)」に代わっていく契機となるものでもありました。

どれほど恵まれた人であっても、どれほど「今」がすばらしいものであっても、どれほど輝かしい未来に見えるものであっても、この「生きて、老いて、病を得て、死んでいく」という絶対的な運命からは逃れることはできません。

それをブッダ(お釈迦さま)が知ることになった大きな契機となったのが、「四門出遊(しもんしゅつゆう)」でした。

次の項目では、この「四門出遊」について解説していきます。

<「四門出遊」とは何か? ブッダ(お釈迦さま)の見た景色について>

「四門出遊」は、ブッダ(お釈迦さま)の青年期のエピソードとして語らずにはいられないものです。

ある日、ブッダ(お釈迦さま)は宮殿の外に出ようと考えます。ブッダ(お釈迦さま)の住んでいる宮殿は広く、数多くの出口がありました。

ある日、ブッダ(お釈迦さま)は東の門から外に出ました。するとそこで、ブッダ(お釈迦さま)は老人に出会うことになりました。腰が曲がり、歯も抜け落ちてしまった1人の老人は、何不自由なく生きてきたブッダ(お釈迦さま)に大きな衝撃を与えます。つまり、「いつかは自分も、あのような老人になるのだ」という衝撃です。

そして別の日、今度はブッダ(お釈迦さま)は南の門から外に出ようとします。するとそこには、やせさらばえ、体のすべてが衰えた病人がいました。心身ともに健康であったブッダ(お釈迦さま)は、この「病気によって変貌してしまった人の姿」にも強いショックを受けることになります。ブッダ(お釈迦さま)についていた召使いは、「人は病気になれば、だれでもあのような姿になるのだ」と説いたといいます。

また後日、ブッダ(お釈迦さま)は今度は西の門から外に出ます。そのときに出会ったのは、老人でもなく病人でもなく、人が最後に行きつく場所である「死」を迎えた人の姿でした。やせ衰えて動くこともなくなった死者が、ほかの人々に支えられて出ていく姿を見ることになったのです。葬式の列は続き、ブッダ(お釈迦さま)はそこで、「人はどんな人間であっても、死からは逃れることができない」と気づくのです。

この3つの門で見た光景は、ブッダ(お釈迦さま)をひどく打ちのめし、絶望させました。しかし後日、北の門からブッダ(お釈迦さま)が出たときに見た光景が、彼の人生を決定づけるものとなります。

北の門から外に出たときに彼が出会ったのは、堂々とした、迷いのない(あるいはそのように見える)出家をした人の姿でした。人が抱く悩みや、世俗にあるがゆえに抱く苦しみなどからもと解き放たれた清潔で美しく、高潔にさえ見えるその姿に、ブッダ(お釈迦さま)は「これから先自分がどう生きればいいのか」「どのように生きるべきなのか」の指針を見出すことになります。

ブッダ(お釈迦さま)が見たこの光景は、四門出遊と呼ばれ、ブッダ(お釈迦さま)の出家の契機となったエピソードとして現在に伝えられています。

今回は、「ブッダ(お釈迦さま)の青年期のエピソード」についてとりあげました。来月は、いよいよブッダ(お釈迦さま)が出家をし、新しい世界に飛び込んでいくときの話をしていきます。