〔あおき葬祭コラム〕第53回:家紋の始まり、そしてお盆提灯に家紋を入れる意味とは

投稿日 カテゴリ おあきの葬祭コラム, お知らせ

以前、「[あおきの葬祭コラム]第3回:家紋の歴史とお盆・葬儀との関わり」 で、家紋に関するエピソードや、家紋とお盆・葬儀の関わり方について述べてきました。

今回はこれを一歩進めて、「家紋の歴史はそもそもどこから始まっているのか」などについて解説していきます。

<家紋の歴史は平安時代にまでさかのぼる~実利面からみる「家紋」>

家紋の歴史は非常に古く、平安時代の後期にまでさかのぼることができるとされています。

もともと家紋は奈良時代でも貴族などによって調度品の装飾として使われてきましたが、平安時代に入ると、家紋自体が意味を持ち始めます。奈良時代には「装飾のためのモチーフ」であった家紋が、やがて「その家を示すための目印」として認識されるようになっていったのです。

これは平安時代が進むことでさらに顕著になっていきます。

当時の大貴族・公家が、自らの家を記すために、当時主な交通手段であった牛車に家紋をつけるようになりました。これはやがて貴族全体に広がり、今日に伝わる「家紋」になっていったと考えられます。

もともとは貴族文化のひとつだった家紋ですが、やがてこれは武家社会にも広まります。

武勲を上げることを至上命題とする武家においては、自らの働きを示したり相手に武勇を見せたりするための旗印として家紋が使われました。また、味方同士で討ち合わないようにという実利的な意味もあり、家紋が普及していったと考えられます。

武家における家紋の普及は、鎌倉時代に特に顕著でした。この時代になると、刀などにも家紋が配されるようになります。

このような「武勇を示すため」「武家の目印として」の家紋の意味はその後も生き続け、戦国時代でも家紋が広く使われることになります。

<家紋文化はやがて一般庶民にも広がるようになる>

このように、家紋はかつては「貴族・公家のもの」「武家のもの」という考え方が一般的でした。

しかしほかの文化がそうであるように、貴族・公家・武家などの(解釈には多少の違いはあるものの)上流階級から始まった家紋文化は、時代が経つに従い、やがて一般庶民にも浸透していくことになります。

たとえば非常に平和だったとされている江戸時代においても、家紋は廃れることはありませんでした。それどころか、多くの人に親しまれるようになります。

江戸時代は「士農工商」の身分がありましたが、この時代においては、家紋は「自分の身分」を表すためのものとして使われていました。また同時に、相手の家や家格を知るための判断材料としても利用されたという歴史があります。

意外に思われるかもしれませんが、このような文化は町人だけに限ったことではなく、農民や遊女、芸者などにも適応されました。また当時は身分の上下に関わらず、華やかで装飾性の高い家紋を用いることも許されていました。

これは世界的にみても非常に奇特なことです。ある意味では、日本の江戸時代における「町人文化」を色濃く反映しているエピソードとみることもできるかもしれません。

平安時代に始まり鎌倉時代に普及し江戸時代に一般庶民にも浸透していった家紋は、それ以降も日本の歴史とともにあり続けます。たとえば諸外国の文化が入ってきた「鹿鳴館時代」においても、家紋はその存在意義を保ち続けました。礼服にも家紋が入れられていましたし、墓石などにも家紋が取り入れられていました。また、この時代に個別で作られた軍刀などにも、その家の家紋を見て取ることができます。

現在では「家を区別するためのもの」として家紋が使われることはほとんどなくなりましたが、それでも、冠婚葬祭にはよく家紋が使われています。たとえば、上述のコラムでも取り上げた「通夜~葬儀の際に着ることになる紋付き袴」などには各所に家紋が配されています。また、現在に限ったことではありませんが、家紋の持つ独特のデザイン性の高さは、国内外問わずに非常に高く評価されています。そのためこれをモチーフにした芸術品も数多く打ち出されていますし、伝統芸能などにおいては特に家紋が大々的に打ち出されます。

家紋は、長い歴史によって育まれ、そして日本独自の形態へと発展を遂げた文化のうちのひとつだといえるでしょう。

<家紋の種類について>

「家紋」と聞いて、多くの人が思い浮かべるのは「代表紋・表紋」です。これは同じ氏を持つ者たちの間で使われるもので、一族の代表的な家紋という位置づけです。

ただ、今でもそうですが、「同じ苗字を持つ人」はかなりたくさんいます。そのため、この代表紋・表紋とはまた異なり、個々人を表す紋として「定紋・本紋・正紋」が現れました。

また、家々の公式な紋以外の家紋として、「替紋」も生まれます。

なお、家紋文化が広がるうちに、「特定の家のもの」「個人を表すためのもの」であった家紋が、ほかの家や人にも利用されるようになります。そのため、「だれでも使える家紋」という性格を帯びるものも出てきました。これは「通紋」と呼ばれ、現在でも貸衣装の羽織などによく用いられています。

男尊女卑の社会であった時代において特異な広がりを見せたのが「女紋」です。これは文字通り、女系から女系に伝承されていく家紋のことです。

近畿地方では入り婿文化が盛んであったため、女紋を受け継ぐ文化もみられました。このような女紋を引き継ぐ家は旧家の証とされて尊敬されてきました。

また、女性が嫁に入る場合であっても女紋を持っていくことがあります。この場合、女紋が礼服に入れられることもあります。

「家紋は家を表すためのもの」とされていますが、紋が表すのは「家」だけではありません。

たとえば神社や寺にも、家紋に相当するものがあります。これらは特に「神紋」「寺紋」と呼ばれていました。またしばしばこれらは、「神職を務め上げる家の家紋」とも一体化しています。

このように、一口に「家紋」といっても、その種類はさまざまです。自分の家の家紋をたどるとともに、その家紋が持つ意味をたどっていくのも面白いでしょう。

<お盆提灯に家紋を入れよう>

お盆には提灯がよく飾られます。

この提灯は特に「盆提灯」などと呼ばれますが、この盆提灯に家紋を入れることもできます。

もともと盆提灯は、「ご先祖様が迷わずに帰ってくることができるように」という願いを込めて飾られるものでした。盆提灯の明かりを目印としてご先祖様が帰ってくると考えて配されるようになったのです。

そこにさらに家紋を入れるのは、「ご先祖様が我が家を見つけやすいように」「ご先祖様が用いていたのと同じ家紋をたどって、帰ってくることができるように」という意味があったと考えられています。

この「家紋を入れた盆提灯」は、特に新盆(初盆ともいう。人が亡くなって49日を過ぎた後に初めて迎えるお盆のこと)の時に重要視されます。自分たちで家紋入りの盆提灯を作成することもできますが、極めて親しく付き合っているお宅に対してならば「贈り物」としてお渡ししても良いとされています。ちなみに人に贈る場合は、受け取り手側の家紋を右に、贈り手側の家紋を左に配置するのが一般的です。

家紋入りの盆提灯の作成には2週間程度かかるため、早めに注文しておく方が良いでしょう。 「装飾的なもの」「戦時において、味方と敵を区別するためのもの」「家の格を示すもの」として誕生した家紋は、今もその意味を変えて生き続けています。