ブッダ(ゴーダマ・シッダールタ/お釈迦さま。仏教に目覚めた後は「ブッダ(お釈迦さま)」の表記とする)の生涯を追っていくこのコラムも、第7回となりました。
前回の記事では、ブッダ(お釈迦さま)が、ウルヴェーラ・カッサパ、ナディー・カッサパ、ガヤー・カッサパのカッサパ3兄弟の改宗を受けるところまでお話ししました。カッサパ3兄弟にはそれぞれ信者がいて、彼らもみなブッダ(お釈迦さま)に帰依しましたから、この段階でブッダ(お釈迦さま)の教団は1000人を超える非常に大きなものになったといえます。
しかしブッダ(お釈迦さま)の旅はまだまだ続きます。
今回は、カッサパ3兄弟(と彼らの元についていた信者)を迎えた後のブッダ(お釈迦さま)の足取りを見ていきましょう。
<ガヤー~「王舎城」ラージャグリハまでの足取りと「一切は燃えている」という言葉の真意>
カッサパ3兄弟とその信者を迎えた後、ブッダ(お釈迦さま)はマガダ国の都であるラージャグリハに向かうことになります。ただその最中、ブッダ(お釈迦さま)はガヤーの山頂に立ち寄りました。このガヤーの山は、「伽耶山」と書かれ、「ガヤーシールシャ」とも書かれます。
ここで、ブッダ(お釈迦さま)はひとつの名言を残します。それが、”一切は燃えている―引用:文殊菩薩と「3種の奇跡(prātihārya)」|五島清隆 https://archives.bukkyo-u.ac.jp/rp-contents/BK/0020/BK00200L001.pdf”という言葉です。
これは、もう少し詳しく述べるなら、「何もかも燃えている。色も目も舌も耳も、またそれらから生じる感受もすべて燃えているし、意識すらも燃えている」と、そしてこれらは「生・老・病・死によって燃えている」と説いた、ということになります。
煩悩によって、人は己自身も、また己のいる世界も燃えているのだから、煩悩を消さなければならないという教えでした。この「煩悩が吹き消された世界」こそが、至るべき涅槃であり、人はそれを目指すべきだとしたのです。この説法によって信者のすべての煩悩が吹き消されたことから、人々はこれを「奇跡のうちのひとつである」ととらえたとされています。
このエピソードは、ブッダ(お釈迦さま)が求め、また人を導くときの教えの指針のうちのひとつだと考えることができるでしょう。
この後、ブッダ(お釈迦さま)は「王舎城」と呼ばれることになるラージャグリハに足を進めます。
<「王舎城」ラージャグリハでのエピソードを辿る>
「王舎城」とも呼ばれることになるラージャグリハは、マガダ国の首都でした。なおこのラージャグリハは、ガヤーから車で3~4時間程度の距離にあります。今では広大なジャングルを有する小さな町となっていますが、当時は大変栄えた場所で、さまざまなことの中心地となっていました。なお、ラージャグリハはしばしば「ラジギール」「ラージャガハー」「ラージャガハ」とも記されますが、ここでは「ラージャグリハ」に統一してお話しします。なお、「ラージャグリハ」とはラージャ(王様)の住まい(グリハ)を合わせた言葉であり、「王舎城」とも呼ばれていました。
ラージャグリハには悲しい歴史があります。
ラージャグリハの王は、妻であるヴァイデーヒー(パーリ)ヴェーデーヒー、韋堤希、イダイケも記す。今回は「ヴァイデーヒー」で統一)との間に一人の子どもを設けます。その子どもの名前は、アジャータシャトルといいました。
しかしアジャータシャトルが誕生する前、夫婦は罪を犯します。
その罪とは、専任を殺したことでした。ヴァイデーヒーにまだ子どもができていなかった頃、王は占い師に、「子どもができるのはいつか」と聞きます。占い師は「山の中に仙人がいる。仙人は3年後に死に、その仙人があなた方の子どもとなって生まれ変わる」と説きました。しかし王はその3年間が待ちきれず、仙人を殺すことによって生まれ変わりを早めようとします。仙人は絶命する前に、自らを殺した王に向かい、「それならば私は、生まれ変わってから王を殺す」と言い残します。
この言葉を覚えていた王は、アジャータシャトルの誕生に際し、再度占い師に相談をします。占い師は「アジャータシャトル様がお生まれになり成長したのなら、王であるあなたを殺すことだろう」と告げます。王とヴァイデーヒーは、望んだ子どもではありましたが、迷いの末、「高いところから生み落とし、アジャータシャトルを殺してしまおう」と考えます。しかしアジャータシャトルは小指だけのけがですみ、命は助かりました。
そのようにして生まれ、そして育ったアジャータシャトルは、長じてから、デーヴァダッタに誘われて、父王から王位を簒奪します。なお、デーヴァダッタは、ブッダ(お釈迦さま)の弟子でありながら、その命を狙ったり、教団の崩壊を狙ったりした人物です。
王位を簒奪してなお安心できないアジャータシャトルは、父王をさらに七重の牢屋に閉じ込め、飢えによって死においやろうとします。しかしヴァイデーヒーの差し入れによって彼はからくも命を繋いでいました。それが露見するとヴァイデーヒーも牢屋に入ることが許されないようになり、ついに父王は占い師の言葉通り、アジャータシャトルによって殺されることになりました。
しかしそののち、アジャータシャトルは自らの行いを悔い、ブッダに助けを求めます。ブッダはアジャータシャトルを受け入れ、自らのひところに取り入れます。
このアジャータシャトルの悔恨とブッダへの帰依心は深く、ブッダ(お釈迦さま)亡きあとの仏典の結集をした際には必要なものをすべて提供しました。また、インドの宗教であるジャイナ教も手厚く保護します。
アジャータシャトルはブッダ(お釈迦さま)の心に救われることによって、「自分のように毒と煩悩をはらんだ肉体から、薫り高く無垢なる信心が生まれた」と言い残しています。
この悲劇的な出来事と、そしてそこから生まれたアジャータシャトルの改心は、仏教においても大きな意味を持っています。これは、「たとえ罪を犯したものであっても、自らの不幸を嘆き、ブッダ(お釈迦さま)に救いを乞うことで救われるのだ」ということにもつながっています。
※ただしこのエピソードにはいくつか違うバージョンもあります。
ラージャグリハのなかでもっとも有名なエピソードといえば、上記のアジャータシャトルの改心の話でしょう。善人だけではなく、父親殺しという大きな罪を犯した者であってすら救われる道があるとする考え方は、仏教の根源ともなっています。なお、このエピソードよりもずっと後に生まれることになる親鸞聖人もまた、「善人なおもって往生を遂ぐ、いわんや悪人をや」と嘆異抄のなかで説いています。
ただ、ラージャグリハで帰依したのはアジャータシャトルだけではありません。有力者である数多くの者も、ブッダに帰依しています。たとえば、アジャータシャトルの父王であったビンサーラは殺される前にブッダ(お釈迦さま)に竹林精舎を寄進していますし、それ以外にもシャーリプトラ(ブッダの十大弟子のひとり。舎利弗とも書かれる)もこのラージャグリハで帰依していますし、同じようにブッダ十大弟子のひとりとして数えられるマウドゥガリヤーヤナ(目犍連)もまた、ブッダに帰依しています。なお、マウドゥガリヤーヤナとシャーリプトラは友人の間柄であり、マウドゥガリヤーヤナはシャーリプトラの誘いによって仏弟子となったとされています。