「仏教」は、日本でも非常に信者が多い宗教です。
ではこの仏教の始まりはどこにあるのでしょうか。また、現在の仏教はどのようなかたちをとっているのでしょうか。
それについて解説していきます。
<仏教の始まりは紀元前6世紀ごろにまでさかのぼる>
仏教の歴史は、紀元前6世紀ごろまでにさかのぼるとされています。
仏教の始祖であり、また知名度の非常に高いガウタマ=シッダールタ(ブッダ)は、小国の王子として生まれました。その生活は非常に順風満帆であり、16歳のときにはヤショーダラーと結婚をし子どもももうけます。
しかしこのように安穏とした生活をしていたシッダールダは、やがて四苦(生・病・老・死、というだれもが避けることのできない悩み。詳しくは次週の記事をご覧ください)に思い悩むことになります。
この悩みからの脱却を図ろうと、29歳のときにシッダールダはすべてを捨てて出奔します。そして修行僧となり、6年間にわたる断食の修行を続けることになります。しかしこの厳しい修行を完遂してもなお、彼は悟りを開くことができなかったとされています。
そのような苦しみのなかで、彼に渡された1杯の乳かゆが彼の考え方を変えます。菩提樹の元で瞑想を行い、21日目についに悟りの境地に至ることになりました。
シッダールダは現在では「ブッダ」とよく呼ばれています。この「ブッダ」という名前は、彼が悟りを開いた後に与えられた名称です。このため、厳密に区別するところなどでは、「シッダールダ」と「ブッダ」を使い分けている場合もあります。
悟りを開いたブッダは、仏教を広く人に広めていきます。人は、一切皆苦を抱くことになるけれど、正しい行いを行い、正しい考えを持ち、正しい話をし、正しい努力をしたりしていくことで、苦しみを受け入れて静かな気持ちにたどり着くことができると考えます。
このような考え方は、まず庶民に受け入れられました。その後で支配者層にも徐々に浸透していくことになります。ブッダを慕う人々は多く、ときに国による保護などを受けながら発展していきました。
<時代とともに移り変わる仏教~「在来仏教」とは何か>
仏教に限ったことではありませんが長い歴史を持つものは、多くの場合その歴史のなかで「バリエーション」「考え方の違いによる分裂」が起きてきます。仏教ももちろん例外ではありません。
仏教はやがて「大乗仏教」「小乗仏教」に分けて展開していくことになります。
またさらにそれが細分化し、新しい「宗派」が生まれていきました。
現在、日本でよくみられる仏教の宗派は以下の通りです。
1.天台宗
2.真言系
3.浄土系(浄土宗など)
4.真宗系(「浄土真宗」は、「浄土」とつくがこの真宗系に分類されることが多い)
5.奈良仏教系(法相宗や律宗など)
6.曹洞宗
7.臨済系
8.日蓮系(日蓮宗など。法華宗などもここに含まれる)
- 黄檗系(おうばく、と読む)
なお黄檗宗や曹洞宗、臨済宗は合わせて「禅宗」と呼ばれることもあります。
これらの9つの宗派は、特に「在来仏教」と呼ばれます。日本に広く浸透している宗派であり、「家が仏教を信仰している」という場合は基本的にはこの9つのうちのいずれかを信仰していると考えてもよいでしょう。なお、地域によって「どの宗派の信徒が多いか」に違いがみられます。
宗派による違いは、死生観の違いなどに色濃く表れてきます。もっとも有名な例ですが、浄土真宗の場合はほかの宗派と違い「冥福を祈ります」という表現は使いません。浄土真宗ではなくなった方はすぐに往生すると考えるからです。また焼香のやり方や数珠の形にも違いがみられます。葬儀の場面などでも、「焼香をするときに額に香をおしいただくか」「お香を落とす回数は何回か」などに違いがみられます。
ただ、あまり緊張しすぎる必要はないでしょう。焼香はご僧侶さま→喪主様→ご家族様→ご参列者様……の順番で行うため、前の人のまねをすれば失敗しません。
また、死生観の違いや焼香のやり方の違いは多少気にした方が良いとされることが多いのですが、数珠の形についてはそれほど厳密に見られることはありません(お家がお寺などのように、特別な例のときは除きます)。
このような「在来仏教」以外にも、日本では「仏教の考えを取り入れた新興宗教」もあります。たとえば、創価学会などがその代表例です。
「仏教の考えを取り入れた新興宗教」をどう解釈するかは人によって異なります。ただ、「在来仏教の信者ならば宗派に関わらず受け入れる」としている寺院墓地は多くみられますが、このようなところの場合は新興宗教に対する扱いは慎重にならざるを得ないという面もあります。このため、自分(や自分の家)が「仏教の考えを取り入れた新興宗教」を信じている場合は、墓地選びに制限が出てくると考えた方がよいでしょう。
<現在でも広く知られている、「仏教と植物」について>
徐々に広まっていった仏教は、しばしば「植物」とも関連付けて話をされることがあります。
最後に、この「植物」を取り上げましょう。
現在でも香典袋などに印刷されているハスの花は仏教の成り立ちや考え方と深い関係にあるといわれています。ハスの花はブッダ像にもよく取り入れられています。
ハスの花は、汚く見える泥の中から出でて非常に美しい花を咲かせます。また、1つの茎に1つの話か咲かないこと、一気にぱっと開き花と実が一緒になること、1つの花にたくさんの実をつけること、真っすぐな茎を持つということなどから、仏教の考え方と親和性が高いとされているのです。
このようなことからハスの花は現在の香典袋などに印刷されることになったわけですが、ハスの花は仏教の花であるため、キリスト教や神式の人の弔事に持っていくと大変失礼にあたります。注意しておきましょう。
もうひとつ、仏教と関わりの深い植物として「菩提樹」があります。「シッダールタは乳がゆを受け取ったことで、悟りへの第一歩を踏み出すことができた」としましたが、この「悟りを開いた場所」が菩提樹の下であったとされています。このため、仏教では菩提樹が非常に大切にされます。
なお菩提樹同様大切にされるものがあります。それが「沙羅双樹(さらそうじゅ)」です。平家物語の最初にも謳われている沙羅双樹は、ブッダが息を引き取った(入滅した)場所だとされています。ちなみにこのときにブッダが北側を枕にしていたことから、今でも「亡くなった人は北を枕にして安置させる」という考え方ができています。
沙羅双樹や菩提樹に比べるとやや知名度は落ちますが、「無憂樹(むゆうじゅ)」も大事にしたい木のうちのひとつです。
これは、シッダールダが生まれたときに関係している木です。シッダールダの母は「マーヤ夫人」と呼ばれていますが、臨月のときに、この木の花に手を差し伸べました。そのときにシッダールダが生まれ落ちたと考えられています。何かを心配することなく、健やかに出産できたことから、「憂いが無い樹」として、この木が「無憂樹」と名付けられたとされています。
仏教の歴史は非常に長く、その歴史のなかでさまざまな考え方や宗派も生まれてきました。その宗派のどれが良い・悪いと言うことはできません。ただ、木々が長い時間をかけて育っていくように、仏教という宗教もまた歴史に育てられてきたものだといえるでしょう。