〔あおき葬祭コラム〕第10回:仏教の考え方~一切皆苦について

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仏様の教えは、仏教を信じる人にとって救いとなります。ただ「なんとなく仏教を信じている」「家の菩提寺はあるが、熱心な仏教徒というほどではない」「近頃ようやく仏教について学び始めたばかりであるため、仏教用語などにはまったく詳しくない」という人もいることでしょう。仏教に限らず、宗教で使われる言葉は、日常生活ではあまり使われない言葉も多いものですからなおさらです。

今回はそんな用語から、「一切皆苦」を取り上げます。

これについて解説していきましょう。

<一切皆苦の「苦」の意味について>

「一切皆苦」は「いっさいかいく」と読みます。また、「一切行苦」と書くこともあります。

「一切皆苦」は、文字だけを見ていれば、「一切合切、すべてが苦しみである」と読めるでしょう。仏教では、「苦しみ」とは「思い通りにならないこと」と解釈しています。

一切皆苦とは、世の中や人生は自分の思い通りにならないものであり、思い通りにコントロールできることは決して多くはないという真理を教えている言葉です。

私たちは、「よりよく生きていきたい」「楽に生きていたい」「どんな人からでも好かれたい」「お金の苦しみを味わいたくない」などのように考えてしまいがちです。そしてこれは、人間ならばだれもが持っている当たり前の欲求だといえるでしょう。

ただし、上でも述べたように、私たちの生活はこのような苦しみから逃れることは決してできません。思い通りにならないことに苦しみ、嘆くのが普通の人間の状態だといえます。

<仏教の考える「苦しみ」の種類について>

仏教では、「この世は一切皆苦であり、世の中や人生は思い通りにならないものだ」という真理を説いています。ではこのときの「苦しみ」にはどのようなものがあるのでしょうか。それについて詳しく見ていきましょう。

「四苦八苦する」という言葉は、だれもが一度は耳にしたことのあるものです。これは実は一切皆苦同様、仏教用語からきています。

4つの苦しみと8つの苦しみに分けられているわけですが、この内容について解説していきます。

【4つの苦しみ】

まず「四苦」の方から見ていきます。

この「4つの苦しみ」は、この世に生まれてきたのであればだれもが味わうことになる苦しみだといえます。

・生(しょう、生苦/しょうく、とも)・・・生まれることや生きることの苦しみです。生まれることは、人にとっての喜びであるのと同時に、これから先死ぬまで続く苦しみの始まりでもあります。生まれることや生きることには多かれ少なかれ必ず苦しみが付きまといます。

「四苦」はしばしば「人が持つ、根源的な苦しみ」と解説されますが、その根源的な苦しみもまた、生まれるところから始まるのです。

・老(ろう、老苦/ろうく、とも)・・・人は、生まれれば必ず老いていきます。生まれることは、老いの一歩目なのです。老いると、今まではできていたことができなくなり、動作が遅くなります。また視力などのような五感にも衰えがみられます。身体的にも徐々に衰えていき、認知症などを患う人もいます。このような「老いることに伴う苦しみ」「老いることの苦しみ」を「老苦」といいます。

・病(びょう、病苦/びょうく、とも)・・・「病苦」という言葉は、多くの人が耳にしたことのあるものなのではないでしょうか。そのため、この言葉はイメージもしやすいかと思われます。

病を得ることの苦しみが、病苦です。がんなどの命に関わる病を患った場合、特にこの苦しみを強く意識することでしょう。

・死(し。死苦/しく、とも)・・・生まれてきた人間は、いつか必ず死にます。死は、だれもが経験することでありながらも、一度も自分自身の身で体験したことではないものだともいえます。死ぬことはどれほどお金を積んでも避けることはできませんし、どれだけ健康に気を配っていても必ずやってくるものです。未知のことや未経験のことである「死」を恐れるのは、人間としてごく自然なことだといえるでしょう。

【八苦について】

四苦が「人間の持ちうる根源的な苦しみ」であるのなら、八苦はそれをもう少しすすめた考え方だといえるでしょう。ちなみに「8つの苦しみ」としていますが、これは「4つの苦しみ+8つの苦しみ」ではなくて、「4つの苦しみと、それとは別の4つの苦しみを合わせたもの」だと考えてください。

・愛別離苦(あいべつりく)・・・八苦のなかでは比較的よく知られたものではないでしょうか。「どれほど愛した人であっても、いつかは必ず失っていく」という意味です。その人との道がばらばらになることもあれば、相手が先に旅立ってしまうこともあるでしょう。これは私たちの心に深い傷を残します。

・怨憎会苦(おんぞうえく)・・・他人に対して、憎しみや恨みを抱いてしまう感情をいいます。憎しみや恨みを持たなければいけない人と出会うのはつらいものですが、これも生きていればほぼ必ずといっていいほど味わうことになるものです。憎しみや恨みは、時に事故嫌悪感までをも引き出してしまいます。

・求不得苦(ぐふとっく)・・・お金だけがあっても、本当の幸福は得られません。また努力と才能、時運によって、欲しいものの多くを手に入れる人もいることでしょう。しかし多くの人は、「お金が手に入らない」「欲しい物を掌中に収められない」「正しい評価を得られない」と悩みます。その苦しみを、「求不得苦」といいます。

・五蘊盛苦(ごうんじょうく)・・・私たちは、己の心さえ実分の自由にすることはできません。トラブルに巻き込まれえて思い悩むこともありますし、体が思うようにコントロールできないということもあるでしょう。

これらを合わせて、四苦八苦といいます。

<一切皆苦を受け入れることが心の平穏につながる>

上記のような苦しみに、私たちは常にさいなまれることになります。悩みのただなかにあるときには、どうにかしてこの苦しみから逃れたい! と思うことでしょう。

しかし四苦八苦(一切皆苦)は、人間が抱えている根源的な悩みです。特に生の苦しみや死の苦しみは、どんな人であっても決して解消することはできません。

仏教では「すべてのものは必ず変化していく(諸行無常/しょぎょうむじょう)」の精神を説くのですが、これは一切皆苦としばしば合わせて語られます。すべてのものは変化し、愛も永遠に続くわけではなく、苦しみは形を変えてやってきます。

仏教の宗教観では、このような一切皆苦をまずは受け入れようと説きます。「すべてのことが思い通りになるわけではない」とまずは考えるのです。「苦しみがあること」を受け入れることで、自分の心を平らかにし、一喜一憂することなく静かに過ごしていくことができるとします。そしてそのように泰然自若とした心のありようこそが、「さとり(涅槃寂静/ねはんじゃくじょう)であるとしているのです。

さまざまな本に、「ポジティブに生きること」「思い悩まないこと」が重要であると書かれています。しかし仏教の場合は、まずは「人生とは思い通りにならないものであり、苦しみは尽きないものである」としたうえで、それを受け入れて心静かに生きていくことの意味を語ります。

仏教の考え方である「一切皆苦」を、どうとらえるかは最終的には個々人の考え方に委ねられます。ただ、「苦しみはつきまとうものだが、それを受け入れることで楽になる」と説く仏教は、多くの人にとって救いとなるでしょう。