故人のために唱えたり、ご家族がご家族自身のために唱えたり、仏道にまい進するために唱えたりするものとして、「お経」があります。このお経は宗派ごとによってその読まれる内容が異なりますが、お経を唱える際(あるいはお経を聞く際)の所作は共通している部分が多いといえます。
今回の記事では、お経を唱える・お経を聞くときの所作について解説していきます。
<お経を唱える・お経を聞くときの基本の所作3つ>
お経を唱える・お経を聞くときの基本の所作は、以下の3つです。
・読経そのもの
・合掌
・礼拝
それぞれ見ていきましょう。
・読経そのもの
葬儀や法事・法要のときは、基本的にはご僧侶だけがお経を読み上げます。しかしこれには地域差・宗派による違い・お寺ごとによる考え方の違いが生じます。
たとえば真言宗などでは、ご僧侶がお経を読むときに参列者もまた一緒にお経を読むことを求められるケースもあります。
「参列者も読経をするように促す」というスタイルは、故人のみならず、参列者にも功徳を積んでほしいといった意向から行われることが多いといえます。そのため、一緒に手をあわせて読経をするとよいでしょう。
なおこれもお寺・ご僧侶によって違いがありますが、現在では参列者が戸惑わないようにという配慮から、葬儀や法事・法要に先立って、ご僧侶から「ここからは一緒に読んでください」などのような案内がされることもあります。またその際に、「なぜ読経を一緒に行うか」の説明が行われることもよくあります。このようなケースでは、お経を書き記した冊子などが渡されるケースが多いといえるでしょう。お経の言葉や読み方はかなり独特ですから、「冊子を配るのみならず、そこに出てくる言葉には読みやすいようにふりがなをふっておく」というお寺も見られます。
・合掌
お経を唱える・お経を聞く場合に、ほぼ必ずすべての宗派で行うことになるのがこの「合掌」です。
胸の前で左手の手のひらと右手の手のひらを合わせて祈るかたちを指し、数珠を手にかけて行うこともあります。なお仏教では、「右手は極楽浄土を表し、左手は此岸(この世・現世)を表す」と考えられています。そのため、右手と左手を合わせることで、故人を極楽浄土に送り出せるとしています。
合掌のやり方は、厳密には宗派によって異なります。
たとえば浄土宗の場合は数珠を2つの輪にして両手の親指にかけて房が胸側にくるようにしますし、臨済宗では大きな輪を1回ひねって二重にしたうえで両手の親指と四指で支えて房を下にたらします。
真言宗は特に特徴的で、両手の中指に数珠をかけて、両手の手のひらで数珠を包み込むようにします。天台宗では人差し指と中指の間に数珠をかけて、房を下に垂らすようにします。
なお、数珠の形も宗派ごとによって異なります。
たとえば天台宗の場合は108の玉と、弟子玉(房に配される玉)と露玉(弟子玉の下に置かれるしずく型の玉)からなる数珠を使います。
臨済宗の場合は108の玉と親玉(ほかの玉よりも大きな形をしている玉)に3本の房をつけています。
浄土宗は2つの輪からなる数珠を使いますが、そのうちの片方は20個で、もう片方は40個です。さらに浄土真宗では、金属の輪を用いて房をつなぐという特徴的な形をしています。
もっとも、この「宗派ごとの合掌の仕方の違い」「宗派ごとの数珠の形の違い」までを、一般の参列者に問う葬儀や法事・法要はまったくと言ってよいほどありません。ご僧侶がこのようなやり方で合掌をしているのを見る機会はあるかと思われますが、一般の参列者ならばここまで気にしなくてよいでしょう。宗派ごとに改めて数珠を買い直す必要もありません。
一般参列者の立場なら、「合掌とは、胸の前で両手の手のひらを合わせること」「仏教の場合は数珠を使うことが一般的」と認識しておけば十分です。
ちなみに現在の仏事では、合掌のときもご僧侶や葬儀会社などから分かりやすく案内されることが多いといえます。
・礼拝
「礼拝」は「れいはい」ではなく「らいはい」と読みます。ちなみに「れいはい」も日本語としてよく使われるものですが、「れいはい」と言ったときは(神仏に限らず)「拝むこと」を意味するのに対して、「らいはい」としたときは「特に仏様や神様を、敬い、尊ぶ気持ちを持って拝むこと」の意味になります。
礼拝は、仏教においては、「仏様を敬い、感謝の気持ちを伝えること」という意味を持つと同時に、「仏様を信頼し、その教えに帰依します」という意味も持ち得ます。
礼拝を行う際は、まずは合掌のかたちを作り、そのうえで45度の角度で頭を下げます。礼拝は座って行うこともあれば立って行うこともありますが、どちらの場合であっても、角度や所作に違いはありません。
なお今回は「お経」ということで仏教のことを中心に取り上げていますが、「らいはい」自体はキリスト教などでもみられるものです。ちなみにキリスト教においてらいはいは「神を敬い、たたえるために行うものである」と位置付けられています。
まったく異なる宗派であっても、ここで取り上げたらいはいのように、同じような行動をとることもあります(上で挙げた「合掌」に似たかたちの行動も、多くの宗教で見られます)。
ただ宗教ごとにその意味は異なるため、混同しないようにしたいものです。
<読経の最中に焼香を行うこともある>
上で挙げた3つは、「お経を唱える・お経を聞くときに行う動作の基本」です。「一緒にお経を唱える」という動作は宗派によっては行わないこともありますが、それ以外の2つはどの宗派でも見られるものです。
ただ、ここに加えて、「焼香」を行うこともあるという点を押さえておきましょう。
焼香は、ご僧侶の読経時に行うものです。葬儀や法事・法要を行っているときに、御送料の読経をバックに、参列者が読経をしていくのです。
焼香は「故人との関係性が深かった順番」に行います。葬儀や法事・法要の喪主・施主がまず行い、その後は血縁関係が近かった順番に焼香を行っていくのが基本です(※「自宅での法要であり、スペース的にきちんと調整しきることができない」「体が悪くて葬儀の途中で抜けなければならないが、焼香はしたいと言われている」などのようなケースを除く)。
現在の葬儀では「立ち焼香」といわれるかたちで焼香を行うことが多いといえます。これは祭壇や仏壇の前に歩み出て、立ったまま焼香を行うやり方です。ただしスペースの都合で座り焼香(仏壇の前などに歩み出て、正座で焼香を行う形式)や回し焼香(お香と香炉を乗せたお盆を回して、自席で焼香を行う方法。スペースが狭いときによくみられる)で対応することもあります。
なおこの「焼香」も、宗派ごとに違いがみられます。お香を額におしいただくか、おしいただくのであればその回数は何回か、お香をつまむ回数は何回か……などのような決まりがあります。
しかし宗派によっては厳密に定めていないところもあるのに加えて、数珠の種類や数珠の持ち方同様、一般参列者に対しては細かいところは求めないという考え方があります。そのため、「宗派ごとの違いを理解したうえで焼香をしなければ」と身構える必要はないでしょう。
また、すでに述べた通り、焼香は喪主・施主から行うものであるため、それ以外の人は喪主・施主のやり方を踏襲すれば問題ありません。 お経を唱える・お経を聞くときに行う所作について理解しておきたいものですね。