〔あおき葬祭コラム〕第103回:国葬、その意味と歴史について

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2022年の7月に、安倍晋三元首相が銃撃されてその命を落とした事件は、記憶に新しいことと思われます。そしてその安倍晋三元首相を弔うために、「国葬」という選択肢が選ばれることになりました。

国葬の是非に関しては人によってさまざまな意見があろうかと思われますが、ここではその是非ではなく、「国葬の意味」「国葬の歴史」について解説していくこととします。

<国葬の意味、その成り立ちについて>

国葬とは、「国が、国の儀式として行う葬儀」のことをいいます。

国葬のもっとも大きな特徴は、その費用が国費でまかなわれることにあります。

一般的な葬儀は喪家が、社葬は会社が費用を負担しますが、国葬の場合は国庫からその費用が出されるわけです。また国を挙げての葬儀となるため、一般的な葬儀とは比べ物にならないほどに大規模なものとなります。国内の要人に出席要請がかけられることはもちろん、国外の要人にも広く声がかけられることになります。国葬は私的な葬儀とは異なり公的な意味を持つものであるといえるでしょう。

国葬に関する法律に目を向けていきましょう。

国葬に関する法律は、大正15年に「国葬令」というかたちで発布されました。しかし昭和22年の4月をもって、この国葬令自体は廃止されました。そのため、現在はこの法律はその効力を失っています。

現在行われようとしている国葬が法律に基づいたものであるかどうかは解釈も分かれるところではありますが、この「国葬令」の時代には、「天皇家の葬儀は国葬という形式をとる。特に、天皇や皇后などの場合は大喪儀とする」などのように、立場によって国葬にするかどうか、その国葬の在り方をどうするかが定められていました。「国葬令」という言葉は知らなくても、「大喪の礼」という言葉は知っている人もいるかもしれません。

またこの国葬令においては、“国家ニ偉勳アル者薨去又ハ死亡シタルトキハ特旨ニ依リ国葬ヲ賜フコトアルヘシ―引用:国立公文書館デジタルアーカイブ「国葬令・御署名原本・大正十五年・勅令第三二四号

https://www.digital.archives.go.jp/DAS/meta/Detail_F0000000000000030257

とされていて、国に対して貢献した人間は天皇の特別の思し召しによって国葬にできると決められていました。

ただ、国葬の歴史はこの「国葬令」が発布される以前からすでにみられていました。

次の項目では、「日本で初めての国葬はだれだったのか」「それからこんにちにいたるまでの国葬の歴史」について解説していきます。

<日本で初めての国葬は、明治16年にまでさかのぼる>

日本の国葬の歴史の源流は、明治11年に亡くなった大久保利通の死にまでさかのぼることができるといわれています。「維新の三傑」とも呼ばれ、西郷隆盛や木戸孝允とともに近代日本の礎を作った人間でもあった彼は、明治11年の5月に暗殺されました。犯人は大久保利通の行動に不満を持っていた6人の士族だとされています。

彼が暗殺されたことは、多くの人にとって非常にショッキングであり、彼らの嘆きはとても深いものでした。そのため、その後を継いだ伊藤博文は(政治的な意図も含んでいたと考えられますが)、大規模な葬儀を大久保利通の屋敷で開きます。1200人もの人が集まったこの葬儀が、日本における事実上の国葬のルーツだと考えられています。

ただ、「正式な国葬」を日本のルーツと考えるのであれば、これは1883年になるでしょう。

同じように明治維新において活躍した人物の一人であった岩倉具視(憲法の制定を行ったり、鉄道の導入を進めようとしたりした人物。「岩倉使節団」で、大久保利通らとも共に動いた)は、59歳のときに喉頭がんで息を引き取ることになります。彼を送るために、国の最高機関の長が国葬を行うと決定しました。

岩倉具視を皮切りとして、明治維新に大きな役割を果たした薩摩・長州の藩主たちも国葬の形式で送られることになります。

1900年代に入り日本の近代化が進んでいくなかで、今度は大久保利通の葬儀に深く関わった伊藤博文初代内閣総理大臣が暗殺されてしまいます。彼もまた国葬で送られることになりました。伊藤博文は中国でその命を落とすことになりますが、現在も残る日比谷公園で行われた国葬には多くの人が参列したとされています。

さらにその3年後に、明治天皇が59歳で病により旅立つことになります。明治天皇もまた国葬の形式で見送られました。

さて、上では「国葬令」のことを解説しましたが、この国葬令の制定2か月後には大正天皇が亡くなります。大正天皇は47歳の若さでこの世から旅立つことになりますが、「国葬令の2か月後に亡くなったこと」は決して偶然ではありませんでした。彼はすでに病を患っていて、熱や貧血に襲われ、歩くことも難しい状態にありました。そんな明治天皇の死を前に、この国葬令が敷かれたというのが実際のところです。

明治天皇が亡くなり昭和に入ると、第一次世界大戦や第二次世界大戦といった戦争が世界で巻き起こります。

日本の軍人も当然これらの戦争に参加、そして戦火のなかでその命を落とすことになりました。

国葬もまた、戦地でその命を散らした人を対象として行われることが多くなっていきます。たとえば日露戦争の英雄とたたえられた東郷平八郎の国葬が昭和9年に、「やってみせ 言って聞かせてさせてみせ ほめてやらねば人は動かじ」の名言で知られる山本五十六の国葬が昭和18年に行われることになります。ちなみに山本五十六は、平民として初めて国葬で見送られた人物でもありました。

国葬令が撤廃されたこともあり、戦後の日本では長く国葬は行われていませんでした。しかし今からさかのぼること55年前、昭和42年に吉田茂元内閣総理大臣が亡くなったときに、戦後初めてとなる国葬が行われました。日米安全保障条約などに調印したり、マッカーサー元帥との交渉を進めたりしたことで知られた彼は、2022年9月15日現在、「戦後で唯一、国葬で見送られた人物である」といえます。

<イギリスの国葬はどうなっている?>

最後に、ごく簡単にではありますがほかの国の国葬についても解説していきます。

2022年の9月8日に息を引き取ったエリザベス2世は、「国葬」で見送られます。イギリスにおける国葬は、議会の承認を必要とします。特別な功労があった人や王室に属する人が亡くなったときに行われるものですが、2021年に亡くなったエリザベス2世の夫であったフィリップ殿下はこの「国葬」ではなく、女王の同意によって行われる「儀礼葬」で見送られています。

アメリカには国葬に関する法律はありませんが、大統領の布告によって行われる国葬が慣習化しています。たとえば、狙撃者の銃弾によって命を落としたケネディ元大統領は、この国葬で見送られています。ただアメリカの場合はご遺族の意志がある程度反映されるようで、ニクソン大統領の国葬はご遺族の希望によりカルフォルニアにて行われたとされています。

なお韓国では、国葬が明確に法律によって定められています。「国葬・国民葬に関する法律」とされていて、大統領を務めていた人が亡くなったときに、この国葬で見送られています。

国葬には長い歴史があり、また国による違いもあります。

安倍晋三元首相の国葬の是非についてはさまざまな意見がありますが、故人の眠りが安らかであることを願いたいものです。


出展:
公益財団法人ニッポンドットコム「国葬の歴史を振り返る:恩師吉田茂の弔いで合意形成に尽力した佐藤栄作首相」
https://www.nippon.com/ja/in-depth/d00841/

NHK国際ニュースナビ「各国の国葬ってどうなっているの? 気になって調べてみました」
https://www3.nhk.or.jp/news/special/international_news_navi/articles/qa/2022/09/07/25123.html

参考:
https://mainichi.jp/premier/politics/articles/20220905/pol/00m/010/007000c