「夏のお盆のときにお経をあげてもらった」
「毎回墓参りのときに、簡単なものだけどお経を唱える」
というご家庭は多いのではないでしょうか。
仏教と当たり前に結びつき、多くの人が口にする「お経」は、私たちにとって非常に親しいものです。ただ、その意味や歴史について詳しく解説できる人はそれほど多くありません。
ここではこの「お経」に注目し、
・お経が持っている意味とは
・お経がどのような歴史をたどってきたか
・ほかの宗派にはお経にあたるものがあるのか
について解説していきます。
<お経とは、仏様の教えを表したもの>
仏教において非常によく唱えられる「お経」は、「仏様の教えをまとめたもの」という意味を持ちます。冠婚葬祭の「葬」とよく関係づけられるものであり、葬儀の席や法要・法事の席で唱えられることが多いといえます。
お経の歴史については後述しますが、現在の日本で用いられているお経は下記の3つに大別されます。
1.梵字で描かれたもの
「梵字」は「ぼんじ」と読みます。仏教の一宗派の名前ともなっている「真言(しんごん)」とも呼ばれるものです。
この梵字は、明確な「意味」を表したものではなく、「音」をそのまま表したものです。
2.梵字を中国語に訳したもの
インドで興った仏教は、やがて中国に伝わりました。その過程で梵字は、中国の言葉に翻訳されることになります。そして中国の言葉に訳されたものが日本に伝わり、日本でもこれが用いられるようになりました。
この「梵字を中国語に訳したもの」は、現在の日本でもっとも広く用いられているお経です。たとえば学校の授業でその名称を習う「般若信教(はんにゃしんきょう)」なども、この「梵字を中国語に訳したもの」のうちのひとつです、
3.2をさらに日本語で訳したもの
「梵字を中国語に訳したもの」が日本でも使われていますが、さらにこれを日本語で和訳したお経もあります。
たとえば、浄土真宗や浄土宗で用いられる
“「願はくは この功徳を以って 平等に一切に施し 同じく菩提心をおこして安楽国に往生せん」⊶引用:家族葬ノファミーユ「回向とは念仏の功徳を回し向けること。故人の冥福を祈る」https://www.famille-kazokusou.com/magazine/after/456”は、もともとは“「願以此功徳 平等施一切 同音菩提心 往生安楽園」⊶引用:日本仏教学院「願以此功徳 平等施一切 同音菩提心 往生安楽園」https://正信偈.com/55ganni.html”を日本語で訳したものです。これは特に「回向文」と呼ばれることがあります。
なお上記のお経は、「南無阿弥陀仏の功徳を賜ったことから、すべての人にこの功徳を施し、同じように極楽浄土に往生をと願わずにはいられないのだ」のような意味です。
ただ、実際にはお経には数多くの種類があります。その数は80000を超えると言われているため、当然その内容は多岐に及びます。上記では「どのように唱えられているか」によって3つに分類しましたが、宗派によっても唱えるお経は異なりますから、そのすべてを把握するのは困難であるといえるでしょう(お経と宗派の関係は、次回以降の記事で詳しく解説します)。
また、お経の内容のなかには、まったく反対の意味を持つものもあるとされています。
そのため、市井に生きる私たちがそのお経の種類のすべて・意味のすべてを把握しようとすることは現実的ではありません。 しかし、「故人と向かい合い、故人を極楽にいざなうため」「遺された家族が心の安寧を得るため」という目的でお経を読むことは、決して悪いことではありません。
<お経の歴史について>
お経の基本的な意味を紹介したところで、ここからは「それではお経はどのようにして広まっていったか」について解説していきます。
すでに述べた通り、お経はもともとはインドで生まれたものです。仏教の生まれ故郷であるインドでは、お経は「スッタ・スートラ」と評されています。
最初期のお経は、今とは異なり、あくまで「言葉で」「口で」伝えられるものでした。その種類は2系統あるとされていて、古代のインドで使われていたパーリ語で記されたものと、中国で訳されたものに大別されます。ちなみに古代インドで使われていたパーリ語の方はスリランカなどを通って南側から伝えられ、中国語の方はシルクロードを介して中国~日本へと北側から世界に広がっていきました。
なおこの時代のお経は、多少内容がつけたされているなどの変更点はあったものの、南側と北側、まったく違うルートをたどったにも関わら、その内容に大きな違いはありませんでした。そのため、この時代のお経は、ほぼ正確にお釈迦様の考えを伝えたものであったのではないかと考えられています。
さて、上でも述べた通り、当時のお経はすべて「言葉で、口で」伝えられてきました。つまり人の口から人の口へと、口頭で伝えられてきたわけです。弟子は師について耳でお経を聞き、「見て覚える」ならぬ「聞いて覚える」という方法でお経を学んできたというわけです。
しかし仏教が興ってから500年ほど経った紀元前一世紀ごろには、お経を「書き表した」ものが登場します。今まで口頭で伝えられていたお経は、その意味を保存するためや仏教をはやらせるために、「書き表される」という手法をとるように変化していったのです。ちなみにこのような変化には、「文字の発達」「物騒の生活様式の変化」が関わっていたと考えられています。
このようにして文字に表されるようになったお経は、やがて多くの発展・派生を見るようになります。
たとえば上で挙げた、「般若心経」を含む般若経典群と呼ばれるものは今から2000年ほど前に確立したとされています。その後を追うように「法華経」、続いて「浄土経典」が続き、やがて華厳経や密教経典が唱えられるようになります。
仏教は現在多くの宗派があり、重んじているお経もまた違います。仏教はその伝播の過程で多くの変化が起きてきましたが、お経もまた例外ではありません。たとえば現在では在来仏教のひとつとして扱われている密教経典などは、ヒンズー教の影響もよく受けています。
<ほかの宗教では「お経」に相当するものがあるのか>
最後に、「それではほかの宗教では、『お経』に相当するものがあるのか」について考えていきましょう。
キリスト教では、キリストが弟子に教えたと言われている「(主の)祈り」があります。これも「その宗教を立ち上げた人物が弟子に教えた」という意味ではお経と似たところがありますが、キリスト教の場合はすべての宗派でほぼ同じ祈祷文が使われているという特徴があります。
すでに述べた通り、仏教は宗派ごとにお経にも違いがみられ、その種類は80000を超えています。このような点は、キリスト教と仏教の大きな違いです。
日本ではかつては、神道と仏教は混合して存在していました。法律によりこの2つが分けられた後であっても、神道と仏教の間には共通点も見受けられます。
ただ仏教にはお経がありますが、神道にはお経にあたるものはありません。神道では「神様に対して捧げ奉る言葉」「神様がいらっしゃるときに、人に聞かせる言葉」はありますが、「お釈迦様(=その宗教を立ち上げた人物)の教えを辿る」という性質の言葉はないのです。たとえば「祓い給い、清め給え」というだれもが一度は耳にするであろう神道の言葉も、「だれかの教えをたどる」という性質を持つものではありません。
このように、宗教によって「唱える言葉」も「それの持つ性質」も違いがあるのです。 次回の記事では、「宗派によるお経の違い」について解説していきます。