〔あおきの葬祭コラム〕第121回:自分の葬儀に流す音楽を決めていた~「坂本龍一」というひと

投稿日 カテゴリ おあきの葬祭コラム, お知らせ

人は、この世に生を受ければいつかは必ずこの世を去る定めにあります。この絶対の決まりは、その人自身がどのような人生を送ってきたかにはまったく関係がありません。数多くの功績を積み上げた人でも、数多くの人に愛された人でも、数多くの人に尊敬された人でも、「死」という絶対のルールを変えることはできません。

しかしその絶対のルールに対して、人は自らの信念と祈りを持って向き合うことができます。

ここではそんな風に死と向かい合った人のうちの一人である「坂本龍一」という人物に焦点を当てて、彼の歩みや葬儀のときに出した希望について解説していきます。

※以下、特別な理由がない限りは「坂本龍一さん」の表記に統一します。

<「坂本龍一」と呼ばれる人物について>

「坂本龍一」は、日本が誇るもっとも偉大な音楽家のうちの一人です。彼は生涯にわたって数多くの曲を作り、音楽プロデューサーとして多くの音楽に関わってきました。また彼自身が高名なピアニストであり、俳優業もこなす人物でした。

1952年に生まれた彼の音楽のルーツは、彼がまだ幼稚園のころにさかのぼります。彼の通っていた幼稚園は全員がピアノに親しむところであったため、坂本龍一さん自身も3歳からこれを習い始めます。

そして10歳のときにはすでに作曲を奈良言い始め、その後も数多くの音楽に親しむことになります。

18歳の年に東京芸術大学に入学、1974年に卒業します。彼はその後修士課程に進むことになりますが、このときに書いた修士論文「反復と旋」は、現在でも販売されているCDに収録されています。

修士号取得ののち、彼は東京で出会った友人とともにミュージシャンとしての経歴をスタートさせることになります。それ以降も数多くのミュージシャンとともに活躍し、プロデキューサーとしても、演奏家としても、また作曲家としても活躍していくことになります。

その後の彼の活躍も華々しく、オリンピックで音楽を作曲~指揮をしたり、製薬会社のCMのための作曲をしてオリコンチャート1位を獲得したりするなどの華々しい経歴を刻んでいきました。

彼の経歴を語るうえで欠かすことができないのは、やはり「戦場のメリークリスマス」でしょう。

第二世界大戦時代に結ばれたイギリス軍人と日本軍人の不思議な友情を描いた作品であり、日本人の映画監督大島渚が監督を務めた作品です。

坂本龍一さんはこの「戦場のメリークリスマス」において俳優として参加すると同時に、戦場のメリークリスマスの音楽を担当することになるのですが、この音楽は国内外で高く評価され、英国アカデミー賞の作曲賞を受賞することとなります。

さらに、これに加えて、1987年の「ラストエンペラー」でも、俳優と音楽家の両方を兼任します。中国最後の皇帝を描いたこの作品も高く評価され、グラミー賞やアカデミー賞、ゴールデングローブ賞を獲得することになります。これも日本人として初めての栄誉であり、またこれ以降、彼に続く日本人の受賞者は出ていません。

このようにして輝かしい経歴を築き上げてきた坂本龍一さんですが、晩年はがんによって苦しめられることになります。

そして2023年の3月28日に、71歳にて東京都内の病院でその命を負えることとなります。ちなみに坂本龍一さんの訃報は死後しばらくは伏せられていて、1か月程度した後に公表されることとなります。

<「自分自身の最後」のために~葬儀のときに流す音楽のプレイリストを作っていた>

死の瞬間はいつでも突然訪れるものではありますが、長く闘病生活をしていた坂本龍一さんは「自分が遠からずこの世を去ること」を理解していました。そして終活の一環として、ひとつのプレイリストを作っていました。それは、「自分が亡くなり、葬儀を行うことになったときに使ってほしい曲」をまとめたものでした。

このプレイリストには、彼がもっとも影響を受けたとされるドビュッシーやバッハなどの古典音楽が収録されています。しかしそれだけにとどまらず、映画音楽を手掛けた音楽家の作品や、一緒に仕事をした人物の作品も収録されていました。

ちなみにこのプレイリストの最後に収録されているのは、2018年という比較的近い年にさまざまな賞を受賞した映画「POSSESSED」の曲です。

合計で33曲が収録されたこのプレイリストは、坂本龍一さんの音楽のルーツを表すものであると同時に、彼自身が音楽というものを生涯にわたって愛し続け、また生涯にわたってそれとともにあったことを証明するものであるといえます。自分の死が目の前に現実感をもって現れたときに「自分の葬儀にかけてほしい曲」を自ら選んだということは、彼が音楽を非常に大切なものとして扱っていた事実を、私たちに伝えてきます。

なお、坂本龍一さんが作ったこの「自らの葬儀のためのプレイリスト」は、「funeral」というタイトルで一般に公開されています。2023年の5月15日、坂本龍一さんの死後1か月半程度を経た非に、マネジメントチームによるコメントとともに世界に向けて公表されることになりました。このプレイリストを聞くことで、偉大な音楽家、世界にその名前を知られた音楽家であった坂本龍一さんが、どのような音楽を愛したのか、どのような音楽を大切にしていたのかを知ることができるでしょう。

ちなみにこのプレイリストは、音楽のストリーミングサービス「Spotify(スポティファイ。スウェーデンの企業であるスポティファイ・テクノロジーが管轄するサイトであり、業界最大大手のサービスのうちのひとつ)」で聞くことができます。

<「自分の葬儀に、自分の愛した曲で送られる」ということ>

ここでは、その名前を国内外に知られた坂本龍一さんの経歴と、その坂本龍一さんが自分の葬儀に向けて作っていた音楽リストのことについてお話していきました。

しかしこの「自分の葬儀のための音楽選び」は、「偉人でなければ行えないもの」ではありません。ごく一般の、市井の人であっても、これを選定することはもちろんできます。

現在の葬儀会社の多くは、「希望する曲があり、その音源を確保できるのであれば、それを通夜~葬儀・告別式のときに流せる」というスタイルをとっているからです。そのため、自分にとって思い出深い曲があったり、とりわけ気に入っている曲があったりする場合は、終活のときに作るエンディングノートにそれを記しておくとよいでしょう。そのエンディングノートを手に取ったご家族が、葬儀会社に希望を出してくれるはずだからです。

また、「エンディングノートには特に記載されていなかったけれど、母はこの音楽が好きだったので」「記録などには残されていないけれど、生前に『私の葬儀のときはこの音楽がいいな』と父が語っていたので」ということであれば、残されたご家族から葬儀会社に希望を出すかたちをとってももちろん構いません。

私たちの持つ五感(視覚・聴覚・嗅覚・触覚・味覚)のなかで、最後まで残るのは「聴覚」だと言われています。聴覚は運動機能が働かなくなっても機能してくれるものであるからです。もちろん命を引き取ってしまえばその聴覚もまた失われてしまうものですが、最後まで私たちを支えてくれる感覚のひとつである「聴覚」は、非常に重要なものです。

その大切な「聴覚」をいつもふるわせてくれた音楽というものは、絶対的な別れのときにも強い力を発揮してくれることでしょう。