〔あおきの葬祭コラム〕第119回:樹木葬を選んだ著名人

投稿日 カテゴリ おあきの葬祭コラム, お知らせ

現在では非常にメジャーなものとなった埋葬方法として、「樹木葬」があります。

ここではこの「樹木葬」を取り上げて、「樹木葬の意味やその歴史」「樹木葬を選んだ著名人」について解説していきます。

日本において、明確に「樹木葬」という形式が登場したのは、1999年、つまり今から四半世紀ほど前のことです。

日本で初めてとなる樹木葬霊園を誕生させたのは、「知勝院(旧:祥雲寺)」と呼ばれるお寺です。「継承者がいなくても、困らない埋葬形態を」という考えのもとで作られたこの「樹木葬」はその後、全国に広く広まりました。樹木葬は「日本の埋葬の歴史」から見ると非常に新しいものではありますが、この急激ともいえる広がり方は、それだけ多くの人が樹木葬形式を求めていたからだといえるでしょう。

なお樹木葬は、その始まりこそ、仏教の寺院によるものでしたが、現在の樹木葬霊園は民間が管理するものもあれば公営が管理するもの、そして寺院が管理するものなどさまざまです。樹木葬の場合は、寺院が管理する場合であっても、「埋葬できるのは仏教徒(あるいは仏教徒でも特定の宗派)にのみ限られる」としているところはほとんどないといえます。民間・公営・寺院、いずれが管理する樹木葬霊園であっても、「生前の宗教や宗派は問わずに埋葬できる」としている形式が圧倒的多数です。

樹木葬の非常に大きな特徴として、「一般的なかたちの墓石を持たない」というものがあります。小さな石碑やプレートが置かれることがありますが、多くの場合、「シンボルツリー」と呼ばれる木の下で眠ることになります。なお、家族だけで眠ることのできる樹木葬もあれば、ほかの人のご遺骨と一緒に眠ることになる合葬形式の樹木葬もあります。

墓石を持たなくても良いことから、一般的な墓地・墓石を得る場合に比べて価格が抑えられるのも魅力です。また、祭祀継承者がいなくても、運営団体が手入れをしていってくれるので、お墓の世話をする人がいなくて、お墓が荒れ果ててしまう心配もいりません。

そのため、「残していく人に迷惑を掛けたくない」「子どもがいないので、自分たちだけで簡潔できる埋葬の形態を選びたい」という人に、この樹木葬は非常におすすめです。

<樹木葬を選んだ著名人を紹介します>

ここからは、樹木葬を選んだ著名人とその歩み、死生観について解説します。

・市原悦子さん

「樹木葬を選んだ著名人」で検索した場合、まず一番に挙がるのは、市原悦子さんでしょう。

昭和~平成を駆け抜けた日本の女優であり、25年以上続けて「家政婦は見た!」の主人公を演じることになった女性でもあります。その存在は「土曜ワイド劇場を象徴する女優」とも評されました。

29歳のときに結婚した演出家塩見哲さんと半世紀以上も寄り添い続けたことでも知られており、彼が80歳で亡くなるまで添い遂げました。おしどり夫婦として名高かった市原悦子さんと塩見哲さんですが、市原悦子さんはその最愛の夫の死に際して、「冷たい石の下に眠らせるのは忍びないので、自然に返してあげたい」と希望したと言われています。そしてその希望を叶えるべく、市原悦子さんは、当時すでに広く去られていた樹木葬という選択肢を選ぶことにしました。

塩見哲さんが亡くなってから約5年後にあたる2019年に、市原悦子さんもまた、82歳で病気で没することになります。生前の市原悦子さんは、「自分が亡くなったら、夫の側で一緒に眠りたい」と希望されていたそうです。残されたご家族はその市原悦子さんの希望に沿って、すでに樹木葬墓地に眠っていた塩見哲さんの側に市原悦子さんのご遺骨を納骨することとしました。そしてその場所に、2人の名前を刻み込んだ墓標(プレート)が設置されたとのことです。

ちなみに市原悦子さん(と塩見哲さん)の埋葬されている樹木葬霊園は公表されています。

千葉県の袖ケ浦にある「曹洞宗瓦谷山真光寺」という曹洞宗のお寺の樹木葬霊園です。

・立花隆さん

ジャーナリストにしてノンフィクション作家として知られる立花隆さんは、政治家・田中角栄の本を執筆した人物として知られています。この本は「大物政治家」であった田中角栄の退陣のきっかけとなったものであると同時に、立花隆さんの名前を一躍有名にし、その立場を不動のものにした著作として知られています。

ジャーナリストであった立花隆さんではありますが、その知的好奇心は哲学や生命の分野にまで及んでいました。数多くの知識を手に入れていくなかで、彼が抱いた死生観や葬送の希望は、「葬儀も墓も必要がない。微生物などに分解されて、自然に還っていきたい」というものでした。彼は自らの死生観や埋葬方法の希望として「コンポスト(堆肥)葬」を希望していましたが、それが法的に難しいことであることもよく分かっていたため、「それならば妥協して樹木葬の方式がいい」としていたとされています。

立花隆さんは2021年に、80歳で病気のために亡くなります。その後は、彼が「消極的な希望」として出していた「樹木葬」のかたちで見送られたと伝えられています。

ただし、市原悦子さんの場合とは異なり、立花隆さんの埋葬されている樹木葬霊園の情報は公開されていません。

樹木葬は、現在非常に多くの人に選ばれている形式です。ただし、きちんと考えてから選ばないと後悔してしまうかもしれません。著名人がなぜ樹木葬霊園を選んだかの理由も考慮材料にしつつ、自分にとってベストな選択肢を選びましょう。