<お彼岸とお盆、それぞれの違いについて>
お彼岸とお盆は、両方とも「仏教の考えに基づくものである」という共通点があります。
日本においては仏教と神道が長く混在していた影響からか神道でもお盆などのことは否定しませんし、キリスト教でも「キリスト教ではお盆という考えはしないが否定はしない」としているところが多く見られますが、それでも、これが仏教の儀式であることは確かです。
ただ、同じように仏教の考え方に基づくものであっても、この2つには違いがあります。
それを、
・日にちの違い
・出すものの違い
・「初めて迎えるとき」にご僧侶を迎えるかどうかの違い
・お参りする理由の違い
の4つの視点からみていきます。
※最後の1つについては後の方で大きく取り上げます。
・日にちの違い
お彼岸とお盆のもっとも大きな違いは、「時期」にあります。
お彼岸は春と秋の2回訪れます。お彼岸の時期は、毎年「春分の日あるいは秋分の日を真ん中に挟んで、前後3日間」とされています。
なお、2022年の場合は、春分の日は3月21日、秋分の日は9月23日ですから、春のお彼岸は3月18日から3月24日、秋のお彼岸は9月20日から9月26日となります。なお、まれに春分や秋分がずれることがあるため、その場合にはお彼岸もずれることになります。
お盆についても見ていきましょう。
お盆は7月あるいは8月の半ばに訪れるものです。
ちなみに7月と8月の違いは、「旧暦か、それとも新暦か」の違いです。地域によって違いはありますが、現在は8月に行う地方が多いといえます。
・出すものの違い
お彼岸のときにはぼたもち(おはぎ)が振る舞われます。なお、ぼたもちとおはぎの名称の違いの理由は「春のお彼岸に出すのか、それとも秋のお彼岸に出すのか」「あんこの処理方法の違い」などのように、複数の説があります。
対して、お盆の場合は精霊馬や精霊牛が作られます。また、提灯そのものを出したり、提灯に見立てたほおづきを出したりすることもあります。少し珍しいところでは、精霊馬に荷物を括り付けるための縄に見立てたそば(うどんの場合もある)を出すこともあります。
・「初めて迎えるとき」にご僧侶を迎えるかどうかの違い
仏教では、「人は亡くなってから49日間をかけて旅をして、その後に死後の行き先が決まる」とされています。そのため49日を特別な日と位置づけ、四十九日法要を行います。
お盆の場合、この四十九日法要後に訪れるお盆をとても大切にします。これは「新盆(にいぼん、あらぼん)」あるいは「初盆(はつぼん)」と呼ばれるもので、四十九日法要同様、家族親族を招いて比較的盛大に催します。ご僧侶様を呼んで行うのが一般的で、ダークスーツなどを着用して厳かに行うやり方がよくとられます。
また、新型コロナウィルス流行語はこのかぎりではありませんが、それ以前は「お墓参りの後に会食を行う」などのようにして、個人の思い出を話す機会を設けるやり方が主流でした。
対して、お彼岸の場合はこのようなことはほとんど行いません。
お彼岸の場合も、四十九日法要が過ぎてから初めて迎えるものを「初彼岸」と呼ぶこともありますが、初彼岸は新盆に比べるとずっとカジュアルなものです。
初彼岸においてご僧侶を招くご家庭は極めてまれで、ほとんどのご家庭ではご僧侶を招かず家族親族だけで過ごします。そのときの服装も、「人をお迎えできる程度の服装でよい」と考えられていて、スーツなどを着ることは基本的にはありません。
また、そもそも、初彼岸は初盆とは異なり、ご親族などは招かず、家族だけで静かに過ごすことが多いといえます。
このように、お盆とお彼岸には大きな違いがみられます。
<同じ「お墓参り」でも意味が違う! お盆とお彼岸の違いを宗教的観点から解説>
上では、「そもそも初彼岸は初盆とは異なり、家族だけで過ごすことが多い」「初彼岸は、初盆に比べるとずっとカジュアルなものである」としました。
このように同じ「四十九日法要後に迎える初めての行事」がまったく違う迎えられ方をする理由は、お盆とお彼岸が持つそれぞれの宗教的な意味の違いにあります。
お盆は、「盂蘭盆(うらぼんえ)」から来ている言葉です。
かつて、「自分の母が餓鬼道に落ちて苦しんでいる。お釈迦さま、どうか母を救う方法を教えてください」とお釈迦さま(ゴーダマ・シッダールタ)にすがってきた弟子がいました。
その弟子に、お釈迦さまは「僧侶を招き、供物を捧げ、手厚く供養をしなさい。そうすればご母堂は救われるであろう」とアドバイスをしました。弟子が実際にそのようにしたところ、母親は浮かばれ、成仏したといいます。
このことから、仏教ではお盆を「ご先祖様を供養し、大切に向き合い、人に施しを与える日」と考えるようになりました。また、お盆のときにはご先祖さまが帰ってくるのだとし、精霊馬や精霊牛を置くようにしたのです。このことから初盆は、「旅立っていった人が、初めて帰ってくる日」と解釈できるため、提灯を置いて迷わないようにしたり、ご僧侶を呼んで手厚くもてなすようにしたりするのです。
対してお彼岸は、仏教の生まれ故郷であるインドにはみられない概念です。おそらく日本において独自に発達した価値観だとみられ、「時節を表す概念である」「沈みゆく太陽に対する日本の価値観の表れ」などの見解が示されています。
お彼岸の語源はサンスクリット語の「パーラミター」から来ているといわれていますが、「日本独自に発展した文化」であるため、初彼岸は初盆ほどには大々的に行われないのだと思われます。
もう少し踏み込んで見ていきましょう。
彼岸は「あの世」「仏さまの世界」を表す言葉で、「この世」「人の世界」を表す言葉である「此岸」と対になっています。そして、仏教では「西方浄土」という考えに基づき、西に浄土が広がっていると信じられています、
そのため、太陽が真東から出てきて真西に沈んでいく春分と秋分の日は、「もっとも浄土に近づく日」と捉えられています。
「ご先祖様がおわす彼岸が近づくので、ご先祖様への思いもきっと伝わりやすくなるだろう」と考えて、この日に積極的に墓参りをするようになったと考えられています。
さらに、仏教では「到彼岸」という概念があります。
これは「悟りを開く」といった意味を持つ言葉です。「苦しみも悲しみもない彼岸に至るための修行や供養も、お彼岸の時期ならばより叶えられやすくなるのではないか」という思いも込めて、お彼岸には特に篤く供養を行うようになったのです。
墓参りを行う意味を、明確に分ける必要はありません。どのような意味を持つにせよ、お墓をきれいにし、仏壇を整え、故人の話を語り合うことは、それだけで意味を持つものだからです。
ただその成り立ちをみていくと、お盆は「ご先祖さまをお迎えし、向かあうためにするもの」、彼岸には「ご先祖様に思いを伝え、自分達も悟りにいたりやすくするためのもの」と解釈できるかもしれません。