〔あおき葬祭コラム〕第86回:怒れる不動明王、その怒りの理由はどこにある?

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仏教には、数多くの信仰対象が存在します。

そのうちの1人が、「不動明王」です。

不動明王がどのような性質を持つかまでは知らなくても、「不動明王」という名前自体は聞いたことのある人も多いのではないでしょうか。

今回はこの不動明王を取り上げ、

・不動明王とはどういう存在か

・不動明王はどのように描かれているのか

・不動明王はなぜ怒っているのか

について解説していきます。

<不動明王とは、大日如来の成り替わった姿だといわれている>

不動明王は、もともとはインドの神話の登場人物でした。そのインド神話において、「3柱の神」のうちの1人であるシヴァの別名が、この不動明王だとされています。ちなみにシヴァは、かつては「神と対する悪魔」としてとらえられていましたが、時代が進むに従い、主神としての性質を持つようになっていったと考えられています。またシヴァは、暴風雨を読み込み、人々に恵みと破壊をもたらすとされてきました。

そのシヴァがやがて仏教の「不動明王」となっていったのですが、現在もシヴァを信仰する宗派は残っています。

さてこのようにして伝わった不動明王は、密教(仏教のなかで、特に子弟間で教えを伝えていくスタイルをとっている宗派のこと。一般大衆に向かって広く普及していくかたちとは異なる。信者の間だけで修行を行うのが特徴)において非常に大切な存在と考えられており、「五大明王(ごだいみょうおう)」のうちの1人に数えられています。

五大明王は、東・西・南・北に1人ずつの明王を配しますが、その真ん中にこの不動明王が配されていると考えられています。

ちなみに、不動明王以外の明王としては、降三世明王・大威徳明王・軍茶利明王・混合夜叉明王がいます。

彼らは、「仏教を信じない人間をも救済する」という使命を持っています。

不動明王は五大明王のなかでも一番の存在とされていて、迷い苦しむすべての人々を救いたまうと言われています。

さて、この不動明王は、しばしば「大日如来の化身である」と解釈されます。

大日如来とは、「偉大で、光輝くもの」という意味を持つ「マハーバイローチャナ」の略称であるとされています。

大日如来は、宇宙の根幹や真理を現した存在と考えられており、無限に広がる宇宙そのものを現す存在とされています。また密教においては、「すべての存在は大日如来から生まれ出でた」と考えており、非常に重要な意味を持つ存在でもあります。

密教ではこの大日如来をご本尊として戴くのですが、その大日如来の化身として、「不動明王」が描かれています。

ただ、「不動明王が大日如来の化身であるのなら、大日如来は仏像などになっていないのか?」というとそうではなく、大日如来は大日如来で仏像として彫られることもあります。ちなみに大日如来は、豪華な冠などの装飾品を戴いた格好で描かれることが多いといえます。

<不動明王のお姿について知っていこう~怒れる不動明王>

不動明王の成り立ちやほかの神様とのつながりを知ったところで、ここからは「不動明王がどのように描かれているか」について解説していきましょう。

宗教画や像によって多少の違いはあるものの、基本的には、不動明王は以下のような特徴を持って描き出されます。

まず、右手には一振りの剣を握っています。この剣は、特に「利剣」と呼ばれることがあります(その意味については後述します)。

剣のつかや刀身の宝飾はさまざまですが、一般的に、曲げた右手で剣を持ち、顔の横当たりに切っ先が来るようになっているかたちが多いといえるでしょう(非常に少ないものの、違う姿勢を取ったものもあります)。

そして、左手には縄を持っています。この縄は、特に「羂索(けんさく)と呼ばれます。剣に比べるとややわかりにくくはありますが、しっかり見ていくと、羂索を左手に握りこんでいるのがわかることでしょう。

そして、不動明王の下には「盤石」といわれる岩があります。ただ、不動明王の下にこの盤石があるのは共通事項であるものの、「その盤石と不動明王が、どのように接しているか」は描かれ方によって異なります。どっしりと座った姿勢で描かれることもあれば、雄々しく立ち上がった姿勢で描かれることもあります。

顔についても見ていきましょう。

不動明王は、わかりやすい憤怒の顔をして描かれています。

これこそが、不動明王の一番の特徴です。

一般的に、仏教でご本尊などを描くときは、像であれ宗教画であれ、そのほとんどは柔和で、優しく、穏やかで、慈悲に満ちた暖かい表情で描かれます。しかし不動明王の場合は、口をぎゅっと結び、釣り上げた眉と、上げたまなじりで描かれています。

最後に、「不動明王のバッグ」にも目を移しましょう。

不動明王は、その背中に、赤々と燃え上がる火炎を背負っています。もっともこの「赤々とした火炎」は、使われている素材などによって異なります。着色をせずに仕上げたものなどは赤色をまとっていません。

なお、「色つながり」で解説していきますが、不動明王の肌の色にも違いがあります。赤色で描かれ理宇こともあれば青色で描かれることもありますし、素材の色の黒色や灰色で作られていることもあります。

<不動明王はなぜ怒っているのか?~その理由は、多くの人を救わんがため>

上でも述べた通り、不動明王は「怒り」を表す顔をしています。また、数多くの武器を持ち、炎をまとっています。

では、不動明王はなぜこのようなかたちで描かれているのでしょうか。

不動明王は、「仏教を信じない人間をも救済する」五大明王のうちの1人です。世の中のあらゆる人、罪を背負ったり仏教を信じなかったり煩悩を抱えたりする人をも、その力で以て強引に救おうとします。そのためには、凶悪な悪鬼と戦うこともいとません。

このようなことから不動明王は、人を見守り人を救い悪鬼と戦うための「怒り」をその顔に称えているといわれています。

これは、「顔」だけではなく、不動明王の持ち物にも表れています。

不動明王が右手にかかげる利剣は、心の迷いや煩悩を絶つためのものです。

また、左手に携えた縄は、あらゆる物事をより良き方向・正しい方向に導くためのものです。

そして不動明王の足の下にある盤石は、「盤石の体制」などの熟語からもわかるように、硬く、強い不動明王の心そのものを表しています。

不動明王の背後にある激しい炎もまた、「この炎を以て、人の持ちうる欲望や迷いを焼き尽くそう」という気持ちの表れだといわれています。ちなみにこの炎は特に「迦桜羅焔(かるらえん)」と呼ばれています。迦桜羅焔は、伝説の神鳥迦桜羅の吐く息であるとされており、毒蛇や悪い龍をも退治してしまうほどのものだと考えられています。

人の迷いや煩悩、欲望や悪しき心のすべてを断ち切り燃やし、対峙する悪鬼羅刹を打ち滅ぼし人を救いに導こうとするからこそ、不動明王はこのような「怒り」を象徴するお姿で描かれているわけです。

このようなことから、「不動明王は、お顔こそ憤怒に彩られているが、すべての人々を救いの境地に至らせようとする慈悲深き存在である」と解釈されています。

そのお姿と迫力で多くの人を時に驚かせてきた不動明王ですが、このような観点から不動明王をとらえると、また違った気持ちになるかもしれません。心静かに不動明王に向き合ってみてはいかがでしょうか。