仏教の葬儀でよく見かける仏具として、「木魚」があります。
今回はこの木魚について取り上げ、
・木魚を叩く意味
・木魚の歴史
・なぜ木魚はこのような形をしているか
について解説していきます。
<木魚を叩く意味、実は「眠気覚まし」から来ている>
木魚(もくぎょ。杢魚とも記す。以下では、特記すべき理由がない限りは「木魚」の表記に統一する)とは、仏教の宗教的儀式でよくみることになる仏具のうちのひとつです。
魚の鱗が彫り込まれた丸い木であり、中に空洞が作られています。ばち(特に「木魚撥」と呼ばれることがある)で叩くことで、ぽこぽことした音を奏でるものです。
この木魚の音を聞くと、仏教の葬儀を思い出す……という人もいるのではないでしょうか。
仏具のひとつとして数えられていることから、この木魚にも宗教的で神聖な意味があるのではないかと考える人も多いのではないでしょうか。
しかし実は、木魚の生まれた理由はこのような宗教的な意味にはよらないと考えられています。
1.木魚を用いる理由その1~眠気覚まし
もともとは、「眠気覚まし」のために叩かれていたものだとされています。
座禅などからもイメージがしやすいかもしれませんが、仏教においては、「同じ姿勢で、長く同じことを行う」というシーンがとても多いといえます。
お経を唱えるときも、「座って」「長い時間」「お経を唱え続ける」ことになります。そのため、修行を積んでいる修行僧であっても、眠気に負けそうになることがありました。
このようなことを避けるために、「手を動かす」という「木魚を叩くしぐさ」「木魚そのもの」が生まれたと考えられています。
しっかりとした統計をとったわけではありませんが、この「木魚は眠気覚ましのために用いられた」という説は、その意外性もあってか、非常に多くの場所で取り上げられています。
2.木魚を用いる理由その2~煩悩を吐き出すため
ただ、これはあくまで「このような理由で生まれたのではないか」という推測にすぎません。
眠気覚ましと同じタイミングか、あるいは後世になってからかはわかりませんが、やがて木魚には宗教的な意味も付随するようになります。
それが、「煩悩を吐き出す」という意味です。
木魚を叩くことで、その人が抱える煩悩が吐き出され、悟りの境地に近づくのではないかと考えられるようになりました。
詳しくは後述しますが、木魚の原型とされる「魚梆(ぎよほう。開梆・かいばん、飯梆・はんぱん、梆・ほう、とも呼ばれる。以下では、特筆すべき理由がない限りは「魚梆」の表記に統一する)」には、口に煩悩の珠を咥えさせられたものもあります。この「木魚の原型である魚梆が、口に煩悩の珠を咥えさせられていること」は、「木魚は煩悩を吐き出す」という理論と通じているのかもしれません。
3.木魚を用いる理由その3~読経のリズムを整えるため
多くの人にとって、木魚は「葬儀に代表される、仏教の宗教的な儀式のときに登場するもの」でしょう。
このため、木魚はこのような場面意外では登場しないものという先入観を持つ人も多いかと思われます。
しかし実際には、木魚は「楽器」としての性質も持ちます。古代の中国では明確に楽器として位置づけられていましたし、現在でも外国では木魚を楽器として扱うこともあります。また、日本の伝統芸能である歌舞伎においても、木魚は楽器として利用されます。
木魚のこのような性質は、「木魚は、読経のリズムをつかみ、整えるために打たれるものではないか」という説にもつながっているのかもしれません。木魚を叩くことでお経のテンポを理解し、滞りなく読み上げていけると考えられています。
<木魚の歴史~いつから生まれた? どんな風に伝わった?>
木魚の意味を知ったところで、ここからは、「では、そもそも木魚はどのようにして伝わってきたのか」「木魚の原型はどこにあるのか」について解説していきましょう。
日本における木魚の元祖は、山梨県にある「雲光寺」のものだといわれています。
これは室町時代に作られたもので、広葉樹が使われていたと考えられています。ちなみに現在も大切に受け継がれ、現役で活躍しています。
なお、室町時代には、一般の民衆を集めるための道具として使われていました。
上でも少し触れましたが、木魚の原型となるのは、「魚梆」です。室町時代にすでに日本に木魚があったと考えられていますが、「木魚を叩く風習」「お寺において、宗教的儀式を行うときに用いるもの」として使われ始めたのはこのころからではないかと推測されています。
魚梆のなかでおそらくもっとも有名なのは、京都の宇治にある「黄檗山萬福寺(おうばくさんまんぷくじ。黄檗山万福寺とも。下記では、特記すべき理由がない限りは「黄檗山萬福寺」の表記に統一する)」のものでしょう。
ここの斎堂(さいどう)に、魚梆が吊るされています。同寺院の魚梆は、上でも述べた「煩悩の珠」を口に咥えています。この魚梆は、儀式の時刻を教えるために叩かれたり、日々の行事のときに叩かれたりしています。
時刻を知らせるために打たれるものですから音が響くように、割れ目がつけられていて、中は空洞になっています。
この魚梆の文化は、江戸時代の初期に日本に渡ってきたといわれています。当時の日本の先輩であった中国の僧侶であり、また黄檗山萬福寺を開いた隠元隆琦(いんげんりゅうき)がもたらしたものだと考えられています。
日本にもたらされた魚梆は、やがて少しずつ形を変えていき、やがて現在の「木魚」のような形・用いられ方をするようになりました。
「仏事の道具として使われるように変化してきた木魚」ですが、お香の捧げ方に宗派による違いがあるように、木魚も宗派によってとらえ方が異なります。
たとえば浄土真宗ではバックビート(4拍子において、2拍子目と4拍子目を重視する打ち方)で木魚を叩きます。
また法華経においては、木魚ではなく、木鉦(もくしょう。3本の脚がついた円形あるいは四角形の道具であり、高い音を出す)が使われています。ちなみに、日蓮宗でもこの木鉦がよく用いられます。
「ご冥福を祈る」という価値観を持たない浄土真宗においては、木魚も用いません。
日蓮宗においては、「たとえこのような修行を積んでこなかった人であっても、『南無阿弥陀仏』と唱えるだけで成仏できる」という宗教観を持ちます。そのため、上でも述べたように、「修行僧が修行を積むときに使われてきたもの」という性質を持つ木魚を用いることはないのです。
<木魚はなぜ魚の形をしているの?>
最後に、「そもそもなぜ木魚は、魚をモチーフにしているか」について解説していきます。
私たちは眠るときにはまぶたを閉じますが、魚にはこのまぶたがありません。このため、昔の人は「魚はまったく眠らないのだ」と考えていました。そこで当時の人々は、「眠らない魚と同じように、昼夜を問わず修行僧は常に修行をするように」として、仏具に魚の意匠を取り入れたと考えられています。
現在も数多くの仏事で使われている「木魚」は、「眠気覚まし」というところから生まれたものです。そのため、生まれた理由自体には、宗教的な理由はあまりないと考えられます。ただそれでも、「眠らずに修行したい」「眠らずに修行すべきだ」という、悟りに到るための修行のなかから生み出された概念であるとはいえるでしょう。