宗教を信仰している人にとって、「ご本尊」という言葉は比較的なじみ深いことでしょう。特に仏教系の宗派を信じている人にとっては、日常的に目にするものだと思われます。
ここでは、改めてこのご本尊の意味をたどり、宗派ごとの違いなどについて解説していきます。
※なお現代の日本においては「大切に扱うべき物・人物」を表す言葉として「ご本尊」が使われることがありますが、ここでは由来通りの「信仰対象」の方の意味で使っていきます。
<ご本尊とは、もっとも重要な信仰対象を指す言葉>
ご本尊とは、仏教系の宗派において、最も重要視すべき信仰対象のことを指す言葉です。
この「信仰対象」のかたちはさまざまです。非常にイメージしやすい「仏像」がご本尊とされることもあれば、掛け軸の形をとることもあります。また経典をご本尊とする方法も否定されてはいません。[大塚1]
絵画や曼荼羅、名号などが描かれていることもあります。ご本尊は非常に重要なものですから、基本的には仏壇の最上段に置くことになります。
また、ご本尊に関連する言葉として「脇侍」があります。これは「きょうじ」あるいは「わきじ」と呼ばれるもので、ご本尊の両脇に置くものです。ご本尊を中心として両脇に置かれるこれは。ご本尊を補佐する役目を持っているとされています。ちなみに「脇立」「脇士」「夾侍」と呼ばれることもありますが、ここでは「脇侍」の表記に統一します。
なお、掛け軸をご本尊とする場合も同じように脇侍にあたるものを置くことがあります。この場合は、脇侍も掛け軸が採用されることが基本です。このような「掛け軸の脇侍」は、特に「脇掛(わきがけ)」と呼ばれます。
ご本尊は、その家の人を見守るものであると同時に、その宗派を信じる人の心の笹瀬となるものです。またご本尊の存在は、生きている限り避けることのできない「死」に向き合い、その悲しみを慰めてくれるものでもあります。このようなことからご本尊は、昔からとても大切にされてきました。
<ご本尊のあり方と、使われている材質について>
ご本尊として祀られる像は、そのほとんどが木材で作られています。ただしそのときに使われる木材はさまざまです。比較的よく使われているのは、マツやヒノキ、スギなどです。ただ、良い香りを放つ木として知られているビャクダンが用いられることもあります。
カヤやクスノキなども使われることがありますし、クシの原材料として名高いツゲによって作られることもあります。
「祖父が亡くなったので、仏壇とご本尊を求めることになった。祖父はクスノキがある家で育ったと言っていたな」「母が亡くなったが、母は父からもらったツゲのクシを大切にしていた」などのようなエピソードがあるのであれば、そのような思い出深い木を使ったご本尊を求めてもいいかもしれません。
ご本尊は白木で作られることもありますが、金粉や金箔などを用いて作られることもあります。一般的に「金仏像」と呼ばれるもので、まばゆい金色の光を放つのが特徴的です。
その姿かたちから「純金で作られているものなのだろう」と考えられがちですし、実際に純金で作られたものもあります。ただ純金で作られた仏像は200万円をゆうに超える価格で取引されることが多いといえます。もちろん信心から「ぜひ純金の仏像を」と願うのであれば、無理のない範囲でその願いはかなえられるべきです。
しかし実際には、「祭詞財産は遺産相続の際に課税対象にならないから」という理由で、純金の仏像を買い求めるケースもあります。これは本来の意味から外れる行為ですし、また「換金性が高く、課税逃れを目的としている」と判断されれば相続税が発生します。
加えて、現在の仏教の宗派では、「純金のご本尊を置くべし」としているところもありませんから、基本的には純金のご本尊にこだわる必要はないでしょう。
<宗派から見るご本尊の違い>
仏教はその長い歴史のなかで、いくつもの宗派に分かれていきました。
もちろん共通する部分もありますが、異なる部分も多くあります。
「ご本尊」もその例にもれません。
それぞれの宗派で、ご本尊として仰ぐ対象には違いがあります。
代表的なものを紹介します。
天台宗……阿弥陀如来をご本尊とします。阿弥陀如来は、西方にあるとされている極楽浄土の代表的な存在であり、命あるものをすべてお救いくださる仏さまだとされています。
脇に控えるのは、伝教大師である最澄(日本の天台宗の祖)と天台大師(中国において、天台宗の学問を大成させたとされている人物)です。
真言宗では、ご本尊として大日如来を置きます。大日如来はあらゆる生き物の母であり、また宇宙そのものを表す存在であるとされています。脇には、不動明王と弘法大師が控えます。なお不動明王は、五大明王の一人であるとされているため、不動明王自体にも深い信仰が寄せられています。
日蓮宗の場合、曼荼羅を中央に起きます。曼荼羅は密教を祖とする絵画であるとされていて、仏教の神髄を表す文様だと考えられています。ほかの宗派のように仏さまの形が描くのではなく、曼荼羅をご本尊とする非常に特徴的な宗派だといえます。
サイドに控えるのは、ヒンズー教から生まれた大黒天です。もう片方の脇には鬼子母神が控えます。
鬼子母神は自らの子どもを育てるために人間の子どもをとらえて食していましたが、末の子どもが隠されたときに必死にこの子どもを探し求め、おしゃかさまの元を訪れました。そこで「お前には多くの(500人以上)の子どもがいるというのに、1人の子どもを見失っただけで半狂乱になっている。それでは、お前に我が子をとらえられた人間の母親の悲しみはいかばかりだったか」と説かれたことで悔い改め、子どもを守る神になったとされる存在です。
浄土宗でも、阿弥陀如来像を中心に据えます。
横には法然上人と善導大師が控えます。「善導」は個人の名前で、中国浄土宗の高僧の名前です。法然上人らに大きな影響を与えたとされている人物であり、69歳でこの世を去っています。
浄土真宗本願寺派では、阿弥陀如来を中心に、蓮如上人と親鸞聖人が脇に控えます。蓮如上人は浄土真宗の高僧であり、本願寺の基礎を築いた人物ともされています。なお、明治天皇より諡を送られた人物でもあります。
真宗大谷派でも、阿弥陀如来をご本尊とします。
非常に特徴的なのは、脇に「九字名号」と「十字名号」を置いていることです。名号は菩薩の名前を表すものと言われていて、九字の場合は「南無不可思議光如来」、十字の場合は「帰命尽十方無光如来」などと記されています。
臨済宗では釈迦如来を中心に据えます。釈迦如来とは、私たちもよくその名前を聞くお釈迦さま(ゴーダマ・シッダールタ)のことです。
脇侍としておかれるのは、観音菩薩と達磨大使です。
最後に曹洞宗を取り上げます。
曹洞宗のご本尊も、釈迦如来です。サイドには常済大師と承陽大師が控えます。
前者は曹洞宗の高僧であり、後者は日本曹洞宗の開祖です。
このように「何をご本尊とするか」「脇侍はどうするか」は、宗派によって大きく異なります。ただ、自分の家の宗派であっても、これを正確に把握している人はそれほど多くはないでしょう。
迷った場合は、仏壇を扱っているお店に聞いてみてください。信じる宗派のご本尊と脇侍、そしてその飾り方を教えてもらえるはずです。もちろん、葬儀会社にご相談いただくこともできます。