〔あおき葬祭コラム〕第32回:仏教の主な宗派~開祖は、書に秀でた空海

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「仏教」と一口にいっても、そこにはたくさんの宗派が存在します。今回はそんななかから、「真言宗」を取り上げます。

<真言宗の開祖は、ことわざでもよく知られている「空海」>

真言宗は、在来仏教のうちのひとつです。その教義については後述するとして、まずは真言宗を開いた「空海」について取り上げましょう。

空海は、「弘法大師」とも呼ばれます。弘法大師といえば、「弘法も筆の誤り」ということわざでよく知られていますね。後世にこのように伝えられるほど、真言宗は書に秀でた人物でした。

真言宗は、774年に現在の香川県で生を受けました。名家の生まれであり、彼の伯父にあたる人は桓武天皇の皇子の教育係を務めていた人です。彼はこの伯父・阿刀大足から学問を学ぶことになります。

伯父の元で子どものころから学問を積んでいた空海は、秀才のほまれも高く、15歳のときに伯父とともに上京、そして18歳のときには大学に入ります。しかしこの当時の大学が目的としたのは、「官吏になって出世をしていくために勉強をすること」でした。これは自分の考えるものとは違うと感じた空海は、やがて仏教の教えにひかれるようになり、これを学び始めます。「空海」という名前を得たのはこのころです。

秀才の呼び声も高く、将来を嘱望されていた空海のこの転身は、親族たちに大きな衝撃をもたらし、数多くの反対の声があがりました。しかしそのなかでも空海は屈せず、24歳のときには、従来の儒教・道教と仏教を比べた書物を書き記すことになります。

その後も仏道にまい進する空海は、やがて阿闍梨からの直接的な教えを望むようになりました。そして31歳のとき、転機が訪れます。当時、文化のお手本とされていた唐にわたる機械に恵まれるのです。遣唐使船に乗り込み、出発します。

ただその道のりは、順調とは言い難いものでした。今ほど航海技術の発達していない現在においては、嵐を乗り越えるすべがなく、嵐に見舞われた船は難破、34日間も放浪し続けます。幸いにして中国の福州にたどり着きますが、遣唐使船を受け入れる体制がなかった福州では船員の上陸を拒みます。

ただここで、空海が書簡を著し渡したところ、その内容のすばらしさが認められ、上陸が許可されます。その後、ようやく念願の長安にたどり着きます。日本を旅立ってから約5か月後のことでした。

長安にたどり着いた空海は、そこで仏教への学びを深めていきます。そんな折、空海は一人の僧侶を訪ねます。恵果和尚と呼ばれるその僧侶は、空海に会うとすぐに、「私はあなたが来ることを知っていて、ずっと待っていました。密教の奥義をあなたに伝えましょう」と告げてきます。恵果和尚の命はまさに尽きようとしていましたが、その短い期間のなかで、恵果和尚は空海を正式な弟子とし、その教えを授けます。

この師から頂いた教えを元に、空海は33歳のときに帰国の途につきます。なお空海は帰国にあたり、恵果和尚碑文を作っています。

日本に帰ってきた空海は、密教の経典や法具などを記したものを朝廷に納めます。その後上京、高雄山寺に住むことになります。この高雄山寺にて、ついに空海は真言宗をひらきます。なお日本天台宗の開祖である最澄も、ここを訪れています。

その後、歴代天皇に守られながら、真言宗は徐々に浸透していきます。45歳からは、時の天皇に賜った高野山にて過ごすことが多くなりました。

834年に、入定(にゅうじょう。永遠の瞑想に入ることを言う)を意識し始めた真言宗は、宮中に同乗を開き、真言の秘法を修めることとします。天皇の許可を得て行われたこれは、「後七日御修法(ごしちにちみしほ)」とされていて、長く受け継がれています。

そして835年、62歳で真言宗は入定することになります。86年後には、当時の天皇である醍醐天皇から「弘法大使」という諡(おくりな。しごう)を得ることになります。私たちが知る「弘法大使」という名称は、ここからきているのですね。

空海は真言宗の開祖として知られていますが、上でも述べたように、「書」において非常に優れた人物でした。また、日本初の辞書を作ったり、水圧に対抗できるアーチ型の堤防を提案したり、温泉の効用を広く知らしめたり、漢方についての知識を広めた人物でもあります。また、文章学概論を、日本で初めて完成させた人でもあります。また広く教育をいきわたらせるために、教育の機会を均等に与えるべしとして、庶民のための教育機関を作った人でもありました。

このように偉大な開祖を持つ真言宗は、現在でも多くの人に親しまれています。

<真言宗の教えを簡単に知ろう>

ここからは、真言宗の教えについて簡単に述べていきます。

真言宗は、仏教のなかでも「密教」に分類されるものです。密教は、その名前の通り、信者の間だけで密に修行を行っていくかたちをとります。「真理とは、仏様から直接教えを受けた弟子たちがずっと伝え続けてきたものであり、修行によってそれを得ること」を目的とします。そのため、真言宗は広がりをみせはするものの、広く庶民に向かって教えを広めていくやり方とは異なります。

なお密教に分類される在来仏教として、真言宗のほかに「天台宗」が挙げられます。ちなみに「真言宗」の「真言」は「仏様の真実のお言葉」という意味を持ちます。

真言宗を語るうえで欠かすことのできないキーワードとして、「即身成仏(そくしんじょうぶつ)」が挙げられます。

一般的な仏教では、「悟りを得ることには長い長い時間がかかる」とされています。しかし、真言宗に代表される密教においては、「修行を行うことで、だれでも悟りに至れる」と考えます。ただしここでいう「悟り」とは、「今現在、もっとも幸せであること」を意味する言葉です。また仏教において広く知られている「成仏」という言葉も、「死ぬこと」を意味するのではなく、「何者にもとらわれず、何者にも依存せず、何者にも心をかき乱されることのない、静かで穏やかな心持ちのこと」を意味します。そのため真言宗においては、「即身成仏」とは、「現在の自分が、本当に幸せにいられるように生きる」ことを指します。

また真言宗には、「曼荼羅(まんだら)」と呼ばれるものがあります。非常に特徴的なものであるため、記憶に残っている人も多いのではないでしょうか。模様のように菩薩様などが配された絵柄であり、密教系の教えのなかで広くみることができます。

真言宗では、その中心に大日如来をおきます。真言宗(密教)においては大日如来こそが、「物事の始まり」であり「物事の中心である」と考えるからです。

真言宗には、5つのお経があります。これは真言宗だけのものではなく、他の宗派でも見られます。

・般若心経(はんにゃしんぎょう)……多くの宗派で呼ばれる。弟子への呼びかけのかたちをとる

・理趣経(りしゅきょう)……般若経典のうちのひとつ。唱えることで功徳を得ることができる。煩悩に対して肯定的な立場を持つ、珍しいお経。

・遺教経(ゆいきょうぎょう)……般若心経の約10倍ほどもボリュームがあるもので、仏様が入滅されるときに残した最後の教えとされている。

・法華経(ほけきょう)……天台宗においてもっとも尊ばれるお経。ドラマ仕立て。

・十三仏真言(じゅうさんぶつしんごん)……真言宗で唱えられる。非常に短い。

これらのお経を用いて、真言宗の儀式が行われます。