〔あおき葬祭コラム〕第19回:【11月の仏事】知っておきたい仏事の知識「新嘗祭」

投稿日 カテゴリ お知らせ

日本にはたくさんのイベントがあり、それぞれにいわれがあります。そのなかには私たちにとってなじみ深いものもあれば、あまり耳にしたことのないものもあります。

今回は、多くの人にとってあまり意識することのない「新嘗祭」についてとりあげましょう。

 

新嘗祭とはいったいどんなものなのか。

新嘗祭にはどんな意味があるのか。

新嘗祭にはどんなことをするのか。

このあたりについて詳しく解説していきます。

 

 

<新嘗祭はとても大切な宮中祭祀のうちのひとつです>

「新嘗祭」という言葉は、多くの人にとって聞きなじみのないものだと思われます。「新嘗祭」は「にいなめさい」「しんじょうさい」と読みます。

 

これが行われるのは、毎年の11月23日です。この日は「勤労感謝の日」として知られており、秋の祝日になっています。このあたりで土日とつなげて連休をとる人も多く、シルバーウィークのうちのひとつとして数えられています。

 

「勤労感謝の日だからお休み」と考えている人も多いかもしれませんが、実は新嘗祭は非常に重要な行事なのです。宮中祭祀(きゅうちゅうさいし)のひとつとして数えられており、毎年宮中や全国各地の神社で新嘗祭の祭祀が行われています。

 

新嘗祭はもともとは、「収穫祭」としての意味を持つものでした。秋は稲・コメの収穫時期であり、これの豊穣に感謝するための日であるとされています。なお、豊穣をお祈りするための祭祀としては、「祈年祭(きねんさい。としごいのまつりともいわれる)」があります。これは2月17日に行われるものであり、その年の実りが豊かであるように……と願って行われます。

 

宮中祭祀のうちのひとつとして受け継がれている新嘗祭は、非常に重要視されています。

皇室でも、この新嘗祭が行われます。宮中にはいくつかの殿がありますが、新嘗祭が行われるのは「神嘉殿(しんかでん)」といわれるところです。ここに、神座(神様がお座りになるところ)と御座(貴人の座る席のこと)が作られます。新嘗祭の当日である23日の夕方ごろに、神様である天照大神(あまてらすおおみかみ)とほかの神様すべてに対して、神様のお召し上がりになる膳を供えます。そして、天皇陛下もこの場所で食事をとられます。

新嘗祭は11月23日であるとしましたが、実際には翌日にもこの新嘗祭に続く行事が行われます。11月24日の朝にも、11月23日の夕方と同じように食事をするのです。

そしてその後に、神様に改めて感謝を述べて、神様のお帰りをお見送りすることになります。

 

日本の皇室文化は、世界でも類をみないものです。天皇陛下が、神様と共に過ごされるこの新嘗祭は、生の根源である食(コメ)の豊穣に感謝する日であることもあり、昔から非常に重要視されていました。なおこの新嘗祭のときには、新しいお米が使われます。そのお米は、各都道府県から特別に選ばれた米農家(それぞれの都道府県で2軒)が奉納するといわれています。

 

 

<新嘗祭の歴史と大嘗祭の違いについて>

日本人とコメの関係は、2000年以上前から続けられてきました。過酷な自然環境に対して立ち向かうすべがなかった時代においては、今まで以上に、「自分たちの力が及ばないところ(自然災害)から食べ物を守ってもらえること」「無事に実った食べ物に感謝すること」は大きな意味を持っていたと考えられています。そのため、はるか昔から新嘗祭(に相当するもの)があったのです。

 

新嘗祭の歴史は677年にまでさかのぼることができますが、それより300年ほど前にも近い行事があったのではないかとも考えられています。いずれにせよ、1400年を超えるほどの歴史があるともされています。非常に長い歴史を持つ行事であることは間違いありません。

現在でも、宮中だけでなく、さまざまな神社がこの新嘗祭を執り行っています。

 

 

さて、この「新嘗祭」ですが、似たような言葉として「大嘗祭(だいじょうさい)」があります。新嘗祭以上に聞いたことがない……という人が多いかもしれないこの言葉は、それでもここ2年ほどの間は比較的よく耳にするようになりました。

 

「大嘗祭」は、ごく簡単にいえば、「新しく即位された天皇陛下が最初に行う新嘗祭」のことです。

つまり、天皇陛下が即位されてから退位されるまでの間に、大嘗祭が行われることはたった1回しかありません。

令和の世になってから大嘗祭が行われたのは2019年になってからで、このときのコメの産地としては、栃木県と京都府のものが選ばれました。なおこのとき、「どこの県のコメを選ぶか」は、亀の甲羅を使って占われます。歴史の教科書などでも見ることになる「亀甲占い」は、令和の世でも生き続けているのです。

ちなみに乗降平価のときは、秋田県と大分県のものが選ばれました。

 

もうひとつ、新嘗祭とよく一緒に語られるものとして「神嘗祭」があります。これは「かんなめさい」と呼びます。こちらは新嘗祭の1か月ほど前に行われるもので、やはり宮中行事にあたります。このときは、天照大神のおわします伊勢神宮に対して、天皇陛下が東京の宮中からその年の収穫物を捧げます。

新嘗祭と勘違いされがちですが、新嘗祭は「神様と天皇陛下が共にコメを食される祭り」であるのに対し、神嘗祭の場合は「神様にだけ捧げる」という違いがあります。

 

ちなみに、私たち一般人の間では、新嘗祭を行うことは基本的にはありません。ただこの季節は秋の豊穣の季節にあたりますから、日本各地で秋祭りが行われることが多いといえます。また、神社などで行う新嘗祭のことを「秋祭り」とすることもあります。

 

 

<実は、新嘗祭は勤労感謝の日とも関わりがある>

上では、「新嘗祭という言葉よりも、勤労感謝の日の方が多くの人にとってなじみ深いかもしれない」としました。

これは実は、日本がたどってきた歴史を理由としています。

 

新嘗祭は、1873年に「国民の祭日」として制定されました。つまり、祝日としてでも150年ほどの歴史があることになります。この「新嘗祭は国民の祭日」という考え方は、1947年までの60年以上にわたって維持されてきました。

 

しかし第二次世界大戦の敗北は、国民の祭日にまで大きな影響を与えます。

 

第二次世界大戦の敗北後も皇室は維持され続けましたが、国家体制は変わりました。そしてそのなかで、「新嘗祭という皇室の行事と、国民の祭日(休日)は分けて考えるべきである」とされたのです。

そのため、60年間親しまれた新嘗祭は「勤労感謝の日」という名称になりました。そのため現在では、「新嘗祭の日が祝日である」と考える人よりも、「勤労感謝の日に新嘗祭が行われる」と考える人の方が多いかもしれません。

また、これに関しては「そもそも近代化が進むにつれて、農業以外の仕事を選ぶ人も増えたから、『勤労感謝の日』という表現の方がふさわしいのではないか」と考える人もいます。

 

 

いずれにせよ、新嘗祭が長い歴史を持ち、また特別な意味を持つことはたしかです。人は食事がなければ生きていけませんし、その食事を作り出すのが穀物であり植物であり魚であり動物であるといえます。今よりもずっと農業が大変であり、また不確定要素が大きかった時代において、「豊穣」「無事に実った稲」を大切にし、それを神様に捧げようとしたのはごく自然のことだといえるでしょう。

現在の私たちにとっては少しなじみが薄いものかもしれませんが、いつも以上に真摯にお米に向き合ってみる機会とするのもよいのではないでしょうか。