〔あおき葬祭コラム〕第11回:お彼岸にお墓参りをする意味とは? なぜぼた餅を供えるの?

投稿日 カテゴリ おあきの葬祭コラム

仏教徒であってもなくても、「お彼岸」という言葉は一度は耳にしたことのあるものかと思われます。

ただ、この「お彼岸」の定義や考え方などについて詳しく解説できる……という人はそれほど多くはないと思われます。

そのためここでは、

・お彼岸とは何か

・なぜお彼岸のときに墓参りをするのか

・お彼岸のときに食べるものの意味とは

について解説していきます。

 

 

<お彼岸は国民の祝日、悟りの境地に至るための修行とも関係している>

 

「お彼岸」は、仏教の行事のうちのひとつですが日本では国民の祝日としても定められています。ただ、お彼岸の祝日は「〇日」と明確に決められているものではなく、毎年2月に決定されるものです。なお2020年(令和2年)のお彼岸は、春のお彼岸が3月20日とされています。秋のお彼岸は9月の22日です。

 

お彼岸の元々の目的は、「旅立った先祖を思い、その人を尊ぶこと」にあるとされています。またお彼岸は、仏教の考え方と深く関係しています。

大乗仏教においては、「彼岸に至るとは、つまりは悟りの境地に入ることである」としていました。また人間は、現世にいる間であっても、下記の6つをクリアできれば彼岸に至れると考えています。

 

・布施波羅蜜……ふせはらみつ。ほかの人のために善行を施すこと。また善行を施すときに、その見返りを求めないこと

・持戒波羅蜜……じかいはらみつ。定められた戒律を厳守し、他の人の迷惑になる行動を慎むこと

・忍辱波羅蜜……にんにくはらみつ。自分の身に降りかかる災いを受け止めて、それに耐えること

・精進波羅蜜……しょうじんはらみつ。誠実に物事に取り組み、努力をしていくこと

・禅定波羅蜜……ぜんじょうはらみつ。泰然自若とした静かな心持ちを維持し、感情を揺れ動かされないようにコントロールすること

・智慧波羅蜜……ちえはらみつ。怒りなどのマイナスの感情にとらわれず、常に物事の本当を見極めようとすること

 

これらは「六波羅蜜」と呼ばれており、これをきちんとできるようになることが目標とされています。しかし私たちは常に、ほかの人の行動に影響を受けますし、つい自分だけが得をしたいなどと考えたりしてしまいがちです。日常のなかでこの六波羅蜜の修行をしていくことができるのが理想ですが、なかなかそうはいかないのが現状です。そのため、お彼岸のときだけでもこのような考えに向き合い、修行をする……という意味もあります。

 

お彼岸とは

・ご先祖さまを敬い、旅立った大切な人に思いを馳せるための時期

・普段はなかなかできない六波羅蜜の修行を行い、心を穏やかに静かに保つために努力する期間

だと考えてください。

 

なお上記では、「お彼岸の祝日」として1日だけを取り上げました。しかし実際にはお彼岸は、だいたい前後で1週間程度あります。1週間をまるまる休んで修行に打ち込むことはなかなか難しいものではありますが、お彼岸はこのような考え方に基づいたものだと理解しておきましょう。

 

 

<お彼岸でお墓参りをする意味についても詳しく知りたい>

「お彼岸は、ご先祖様を思い、敬うための時期でもある」としました。

 

仏教は元々はインドで生まれたものですが、時代を経るにしたがって、またさまざまな国に伝わっていくにしたがって、さまざまな解釈もなされるようになりました。非常に興味深い話なのですが、この「お彼岸」の文化は、仏教のルーツであるインドには存在しません。また、中国でもお彼岸の文化は基本的にはありません。お彼岸とは、仏教が日本に伝わり浸透していくなかで、日本が独自に行うようになった風習のひとつだと考えられています。

このあたりは仏教の死生観の解釈にもよるのですが、「伝わっていった国ごとで、その宗教の解釈が変わっていった例」のうちのひとつだといえるでしょう。

 

日本では「お彼岸」の考え方として、「亡くなった方は、苦しみや欲などの悩みから解脱して悟りの境地に至る。それが、『あの世』を表す『彼岸』である(この世のことは『此岸(しがん)』と呼ぶ)。ご先祖様は時折彼岸から此岸に姿を見せるが、春分・秋分のお彼岸の時期には特に此岸にわたりやすくなっている」と考えています。

 

この考え方は、「天候」によるところも大きいといえます。春分と秋分の時期では、太陽が真東から真西に向かって沈むことになります。このことから、西にある極楽浄土と人間の住む現世がもっとも近づく時期だととらえられているのです。このため、この時期にしっかりとご先祖様の供養をすることでご先祖様と近づけると考えます。またこのときに彼岸を思いしっかりと祈ることで、「自分も、迷いのないところに行けるように」と願えるともいわれています。

 

 

日本ではお彼岸の時期には、よくお墓参りに行きます。お墓参りは、故人との距離を縮めることのできる行為であり、ご家族でそろってお墓に出かけるご家庭も多いといえます。なおお盆の時期同様、この時期の霊園は非常に混みあいますので注意してください。

 

日常的にお手入れするのは少し難しい……と感じる人も多い「仏具」についても、お彼岸の時期にお手入れをしてしまうことをおすすめします。掃除をしっかり行えばつややかな艶がよみがえるでしょう。また、仏具をお手入れしている時間は非常に心が静かになり、ご先祖さまや仏さまに思いを馳せることができます。家族みんなで掃除をしても良いものです。

 

 

<お彼岸で食べるもの~ぼたもち? それともおはぎ?>

 

さて、お彼岸で食べるものといえば、「あんこをまとったお餅」です。

 

これは「ぼたもち」とも「おはぎ」ともいわれていますが、この2つは実は分けて語られるべきものです。

 

もともと「ぼたもち」は「牡丹餅」と書きます。文字通り、花の「牡丹」からきています。対して、「おはぎ」は「お萩」と書きます。これも、花の「萩」からきています。

牡丹は春の花であるため、春のお彼岸に食べるものは「ぼたもち」といいます。

対して、萩は秋の花であるため、秋のお彼岸に食べるものは「おはぎ」とされるのです。

 

この2つに、「呼び方以外の違いがあるかどうか」については諸説あります。一応一番有力なのは「呼び方が違うだけで、中身は一緒である」というものですが、

・大きさが違う。ぼたもちは牡丹の花に見立てて大きく、おはぎは萩の花のように小さくする

・あんこの処理方法が違う。アズキは秋にとられ、収穫直後は皮が柔らかい。そのため皮ごとたべられるおはぎの場合はつぶあんとして、ぼたもちの場合はこしあんとする

・お米の種類が違う。ぼたもちではもち米を使い、おはぎではうるち米を使う。

・お米の処理方法が違う。ぼたもちではみなごろし(しっかりつく)にし、おはぎでははんごろし(つぶがまだ残る)にする

などのように解説しているところもあります。

 

これらのうちのどの説が正しく、どの説が間違っているかは断言できません。季節による違いだけでなく、個々の家による違いなどもあるからです。また、「そもそもあまりこだわっていない」とするお家もあることでしょう。

「自分の家ではどのようにしていたか」を思い出してみたり、自分の親(やそれより上の)世代に聞いてみたりするのも良いでしょう。そのように思い出してみたり、家族と連絡をとってみたり、家の味や伝統を受け継いでいこうとすることもまた、「お彼岸」の性質に合うものだといえるからです。