ブッダ(お釈迦さま。ゴーダマ・シッダールタ)の生涯を10か月にわたって追い続けてきた本コラムですが、第49回のあおきの葬祭コラム~ブッダの生涯第9回では入滅するところまでを解説しました。
ブッダの生涯の最後となる今回のコラムでは、ブッダと深く関わってきたブッダの家族や、ブッダの教えを元とした考え方について記していきます。
<ブッダ(お釈迦さま)の正妻、ヤソーダラー>
ブッダ(ゴーダマ・シッダールタ)が「家族や地位を捨てて、悟りの道に入ったこと」はすでに述べてきた通りです。
しかしもともとシャカ族の王子であったブッダ(ゴーダマ・シッダールタ)には妻や子どもがいました。
ここではブッダ(ゴーダマ・シッダールタ)の家族について取り上げていきます。
身分が高かったブッダ(ゴーダマ・シッダールタ)には、複数人の妻がいました。日本でも歴史を紐解けば、「正室」「側室」の言葉が出てきますね。
ブッダ(ゴーダマ・シッダールタ)の正妻は「ヤソーダラー(耶輸陀羅。やしゅだら、ヤショーダラーとも。ここではカタカナ表記の統一)」という女性でした。彼女は出家する以前のブッダ(ゴーダマ・シッダールタ)に嫁いだ女性であり、その後にラーフラ(羅睺羅。後述します)を身ごもり、彼を生むことになります。
当時のインドにおいては、妊娠した女性は夫の元から離れて生活するのが一般的でした。
しかしブッダ(ゴーダマ・シッダールタ)は、妻であり我が子を身ごもっているヤソーダラーの元に足しげく通い続けることになります。
現在の感覚とは一致しないところも多いかと思われますが、ヤソーダラーはそのように通い続けてくる夫に対して申し訳なくも思い、自らムリガジャーという女性をブッダ(ゴーダマ・シッダールタ)に紹介しました。彼女はブッダ(ゴーダマ・シッダールタ)の第3夫人となります。
しかし自分という新しい妻を得てなお、身ごもっているヤソーダラーの元に通い続けるブッダ(ゴーダマ・シッダールタ)の姿に、ムリガジャーは激しい嫉妬心を抱くことになりました。
ブッダ(ゴーダマ・シッダールタ)が、当時の価値観では考えられなかった「身ごもった妻の元に通い続ける夫」であったことには理由があります。
ブッダ(ゴーダマ・シッダールタ)は自身が産まれたときに、母であるマーヤー夫人を亡くしています。マーヤー夫人は、一説には、ブッダ(ゴーダマ・シッダールタ)を生んだ7日後に亡くなったとされていて、その母の姿をヤソーダラーに重ねたとされています。自分を生んだ後に亡くなってしまった母を知っているからこそ、彼は出産を控えている妻の身が心配であったのでしょう。
このことを知ったヤソーダラーはブッダ(ゴーダマ・シッダールタ)の気持ちに納得し、またムリガジャーもその嫉妬心を収めたとされています。
ヤソーダラーは、ブッダ(ゴーダマ・シッダールタ)が出家した後も、その縁を繋ぎ続けることになります。ブッダ(お釈迦さま)[大塚1] の弟子の1人となり、その教えに帰依することになりました。
なお、ブッダ(ゴーダマ・シッダールタ)には、ヤソーダラーやムリガジャーのほかに、ゴーピカーと呼ばれる妻やマノーダラーと呼ばれる妻がいたとされています。
ただこのあたりは伝承も入り乱れていて、どの妻のエピソードか判然としないところがあったり、「そもそもヤソーダラーとマノーダラーは同一人物ではないのか?」などの議論があったりします。
<ブッダ(お釈迦さま)と、その子どもラーフラについて>
上でも少し取り上げましたが、ブッダ(ゴーダマ・シッダールタ)には実子(であるとされる)ラーフラという子どもがいます。
ラーフラとは、「障り」「障害」「束縛する者」という意味があります。王子であるにも関わらずこのような名前が付けられた理由には諸説あります。
・「龍の頭」である「ラーフ」と似た響きからつけられた
・当時まだ存命であったブッダ(ゴーダマ・シッダールタ)の父王が、「この子どもが束縛となって、きっと息子も出家をあきらめるだろう」という願いを込めた
・すでに出家を決めていたブッダ(ゴーダマ・シッダールタ)にとって、「愛しくかわいらしい子どもだからこそ、すべてを捨てなければたどり着けない出家を目指す意味では障害になる」と考えた
などの理由が主なものです。
いずれにせよ、やがてブッダ(ゴーダマ・シッダールタ)はラーフラを置き、修行の旅に出ます。残されたラーフラは、ブッダ(ゴーダマ・シッダールタ)の父王と、そして母であるヤソーダラーによって育成されることになります。
そののち、出家したブッダ(お釈迦さま)は弟子とともにラーフラの元にやってきます。ラーフラが9歳のときのことでした。
しかしほんの子どもだったときに父王と別れたラーフラには、父の顔が分かりません。そして父と知った後、彼に財産を譲ってほしいと話しかけます。
しかしこのようなことは、すでに出家の旅に出ていたブッダ(お釈迦さま)にとっては意味のないものでした。ブッダ(お釈迦さま)はわが子であるラーフラに、本当の幸せを与えようと考え、ラーフラを出家させることにしたのです。
まだ年若いラーフラのエピソードとして、「汚い水の話」とがあります。
ブッダ(お釈迦さま)に会いたいと頼ってきた人に対して、ラーフラはからかうような気持ちでウソの居場所を教えます。その人たちははるか遠くまで歩いていき、しかしブッダ(お釈迦さま)に会えずに帰ってきました。
そのことをブッダ(お釈迦さま)が知り、ブッダ(お釈迦さま)は自分の足を洗った後の水を指し、「この水を飲めるか」と聞きます。しかし足を洗った後の不浄の水に口をつけることを、ラーフラはためらいました。このことを以て、ブッダ(お釈迦さま)は「清らかに生きようとして出家の道に入ったのに、嘘をついたことでお前の口はこの水のように汚れてしまった」「この水の入っていた桶が汚れて食べ物を入れることができなくなり、また顧みられることがなくなったように、お前もそうなってしまう」と諭します。
この話はラーフラの意識を大きく変えさせます。その後ラーフラは、ブッダ(お釈迦さま)の息子ということでおごることもなく、一身に謙虚に修行に励んだといわれています。
<ラーフラとも関わる「十戒」について>
[大塚1]出家前は「ゴーダマ・シッダールタ」、出家後は「お釈迦様」です
仏教徒が守らなければならないものとして、「四重戒・四重禁戒(殺すな、盗むな、よこしまな性的な関係を結ぶな、うそをつくな)」というものがあります。
しかしこれ以外にも、「十戒」と呼ばれるものがあります。
十戒とは、まだ非常に年若い出家者である子どもに課せられるものです。なおこの「年若い出家者」は沙弥・沙弥尼と呼ばれますが、先に挙げたラーフラは仏教における最初の沙弥とされています。
十戒は、文字通り、10の戒めです。
1.殺すな
2.盗むな
3.性交をするな
4.うそをつくな
5.歌劇などをみるな
6.広かったり、高かったりする寝台に眠るな
7.食事は午後にしてはいけない
8.酒を飲むな
9.飾り立てるな
10.財産を有するな
としたものです。
なお、「十重禁戒」という似た言葉もあります。これは大乗仏教における考え方です。こちらも先に挙げた十戒と共通するところもありますが、「酒を打ってはいけない」「人の謝罪を許さないことがあってはならない」などのような違いがみられます。
ブッダ(ゴーダマ・シッダールタ)には家族があり、そしてその家族も出家の道をたどりました。そして彼が残した戒めは受け継がれ、多くの信徒の行動指針となりました。
現在は仏教の解釈も多様化していっていますが、彼の考え方や理念は今もなお深く受け継がれています。