仏教は長い歴史を持つものであり、その歴史のなかでいくつかの宗派に分かれてきました。その宗派は、大きく「在来仏教」「仏教系新宗教」の2つに分けられます。今回は在来仏教である「日蓮宗」について取り上げます。
<日蓮宗の歴史と成り立ち>
日蓮宗は、「日蓮」によって開かれた宗派です。
日蓮は、1222年に現在の千葉県にて生を受けました。まだ幼い12歳のときに、地元にある天台宗のお寺「清澄寺」に入り、16歳で出家します。そして19歳で比叡山に入り、そこで修行を積むことになります。その修行は実に10年以上にも及ぶわけですが、このなかで、日蓮は「法華経にこそ真の経典である」と考えるようになります。この思想をもって日蓮は教えを広めていきますが、同時に、当時よく知られていた法然の教え(浄土念仏)を排除しようとします。
ここでは、日蓮の考え方が間違っていたのか正しかったのか、あるいは浄土念仏が正しいのか法華経が正しいのかを述べることはしません。ただこのことがきっかけとなって、日蓮は新天地に赴かなければならなくなりました。
オリオリ、当時は社会情勢が非常に不安定な時期でした。このときに日蓮は、「立正安国論」という文章を表します。1260年に著されたこれは、ひとつの物語仕立てとなっていて、「現在(当時)の人々は仏教を大切にしない。だから世の中が乱れてしまったのだ」と説くものでした。
これは仏教史のなかにおいて非常に意味のあるものではありますが、同時に、上でも述べた浄土宗と敵対する立場をとっていた書でもありましたから、浄土宗を信じる人の心を刺激するに十分なものでした。その結果、日蓮は浄土宗の信者に襲われたり、流罪に処されたりすることになります。
ちなみに現在でも、一部の日蓮宗の寺院においては、明確に「ほかの宗派は損得の気持ちで動いている」としているところもあります。
流流罪から帰ってきた後、日蓮は身延山に入ることになります。しかし1287年、長年の無理もあったのか他界することになります。しかし日蓮の教えを受け継いだ弟子によって、日蓮の教えは長く息づいていくことになります。
<日蓮宗の種類と創価学会との関係>
さて、日蓮宗をさらに難しくしているのは、「『日蓮』と名前のつく宗派がたくさんあることと、創価学会との関わり方」です。これについてみていきましょう。
『日蓮』と名前の付くものは、「日蓮宗」以外にもたくさんあります。これは「日蓮系題目系」と呼ばれ、「日蓮宗」とは分けられます。
そのなかでも、よく取り上げられるのは「日蓮正宗」ですから、ここでは「日蓮宗」と「日蓮正宗」の違いについて解説していきます。
日蓮宗も日蓮正宗も、どちらも日蓮の教えを重んじる宗派です。しかし日蓮正宗の場合は、日蓮を「日蓮大聖人」と呼びます。
日蓮宗では仏像の形をした本尊を祀ることを認めていますが、日蓮正宗ではこれを認めていません。また、日蓮正宗はそもそも「日蓮が亡くなった後に、仏法をきちんと守らない人間がいたこと」を理由として総本山を離れた人間によって創設された宗派であるという違いもあります。そのため、日蓮正宗は、日蓮宗よりも遅い1290年に立ち上げられています。
なお、日蓮正宗はしばしば「創価学会」との関わりが指摘されます。創価学会は新興宗教のひとつであり、仏教系新興宗教のひとつに分類されるものでもあります。1930年にできた宗派であり、この創価学会は日蓮正宗に長く属していました。しかし日蓮正宗は、「創価学会は、日蓮正宗の教義に従わない」とし、しばしば両者間で対立が起きました。その結果、1991年に明確に日蓮正宗は創価学会を破門し、現在では「日蓮正宗と創価学会はまったく別のものである」という姿勢を貫いています。
日蓮宗と日蓮正宗の違いは、非常に複雑であるとともに非常にデリケートな問題をはらんでいる部分でもあります。このため、厳密な日蓮宗においては、日蓮正宗に対してやや否定的な見方をする人も存在します。また同時に、日蓮正宗と創価学会の間には明確でデリケートな区分があります。
<日蓮宗の教えと葬儀について>
ここからは、一般的な「日蓮宗」の教義や、葬儀のやり方について解説していきます。
「日蓮宗」は、名前からも分かるように、日蓮の教えを非常に大切にし、また教義に色濃く反映している宗派でもあります。
日蓮宗の重んじる「法華経」は、28個の章に分けられています。
日蓮宗においても「死後の世界」は存在しそこで救われるとしていますが、「亡くなった後の世界や来世での幸福に重きを置くのではなく、もっとも大切なのは『今現在の生きている場所での生活』である」としているのが大きな特徴です。これは、「死んだ後に極楽に行ける」「来世のために功徳を積む」と考えるほかの宗派との大きな違いでもあります。
日蓮宗においては、「法華経(ほけきょう)」を非常に大切にしています。そして、お題目である「南無妙法蓮華経」がもっとも尊く、またすべてであると説いています。
現在でこそ、「公平な」ものである仏教も、昔は決して公平なものではありませんでした。女性などは仏教においては救われないものであるとしていましたが、法華経は仏教の原点に立ち返り、「どのような人であっても救われるのだ」としたのです。そして「南無妙法蓮華経」を唱えることこそもっとも重要な修行であると考えました。このお題目を唱えることで、死後に仏さまに会うことができ、また救われることができるとしました。
このため、日蓮宗の葬儀はほかの在来仏教の葬儀とは大きく様相が異なります。一般的な在来仏教の葬儀においては僧侶のみが読経を行いますが、日蓮宗の場合は、参列者全員でお題目を唱えるという特徴があります。「南無妙法蓮華経」と、参列者全員で一心に唱える葬儀は、非常に独特のものです。
また、「引導」が行われるのも特徴です。これは僧侶によって行われるもので、払子(はっす、あるいはほっす。法具のうちのひとつであり、白い繊維を束ねたものに、持ち手がついている)を3回振って、その後に焼香、そして引導分を読み上げる儀式をいいます。これは故人の成し得てきた徳をたたえるものであると同時に、故人に対して法華経の重要さを伝えるための儀式でもあります。(※ただし地域やご家庭によって異なります)。
また、日蓮宗の焼香は「正式な解釈では3回」とされています。ただこれは僧侶が行う回数であって、一般の参列者は基本的には1回だけとされています。特に大勢の参列者がいる場合は、時間的なことも考慮して、1回だけにしておくのが基本とされます。また、線香を立てて行う焼香の場合は1本あるいは3本を立てることになります。
日蓮宗で使われるお数珠は、108個の主玉からなります。そのなかに4つの「四天玉」がつけられていて、両端に「親玉」が配されています。ただこのようなお数珠の違いは、一般の参列者の場合は問題にされることはありません。手持ちのお数珠を使って構いません。
香典を出す場合は、ほかの在来仏教と同じく、「御香典」「御霊前」を使うのが一般的です。四十九日を過ぎた後に行う法要の場合は、「御仏前」とすればよいでしょう。