〔あおき葬祭コラム〕第35回:ブッダ(お釈迦さま)の生涯(6)

投稿日 カテゴリ おあきの葬祭コラム, お知らせ, ブッダの生涯

このコラムは、ブッダ(お釈迦さま/ゴーダマ・シッダールタ)の生涯を、生誕から初めてずっと追っていくコラムです。第5回目となる膳会は、ついにブッダ(お釈迦さま)が悟りを開かれ、またその説法を初めての弟子となる五比丘(ごびく)に広めるところまでを説明してきました。この五比丘は、仏教において非常に重要な役目を果たすことになる人物です。

 

「自分のものであった悟り」を、ほかの人に広めることを決意し、またそれに取り組み始めたブッダ(お釈迦さま)の生涯は、これから先どのような足跡を残すことになるのでしょうか。

第6回では、五比丘という弟子を得た後のブッダ(お釈迦さま)の足跡を追っていきます。

 

 

<仏教四大聖地のひとつ「ヴァーラーナシー」の長者ブッダ(お釈迦さま)の元に>

 

五比丘が説法を受けたのは、ヴァーラーナシー(「ワーラーナシー」「ヴァーラーナスィー」「ワラナシ」「ヴァラナシ」「バラナシ」「ワラナシ」、また古い名前で「カーシー」と記されることもある。ヒンディー語においては「バラーナス」とされる。今回は「ヴァーラーナシー」で表記を統一)という場所でした。現在の感覚でいえば、このヴァーラーナシーの郊外であるサールナートにおいて、五比丘はブッダ(お釈迦さま)の説法を受けてブッダ(お釈迦さま)の弟子となったとされています。

 

その後、ヴァーラーナシーの長者であったヤシャスなどもブッダ(お釈迦さま)に教化されることになります。また、当時のインドに存在していた小さな国であるカプラヴァストゥ(「カピラ城」「カプラワットゥ」とも記される。ここでは「カプラヴァストゥ」に統一)を迎え入れることになります。

 

このようなことが行われたヴァーラーナシーは、現在も「仏教の四大聖地」と呼ばれています。初めての説法が行われたヴァーラーナシーのサールナートは今も世界各国の仏教徒から聖地として崇め奉られ、ここを訪れる仏教徒は非常に多いといえます。日本からも、「仏教四大聖地をめぐる旅」などのようなかたちで、ツアーが執り行われています。

 

なお、四大聖地のほかの3つは、ブッダ(お釈迦さま/ゴーダマ・シッダールタ)が生まれた生誕の地であるルンビニー、仏になるための修行を終えた場所であるブッダガヤー、そして最後のひとつが入滅する際にあったクシナガラです。インドの北部~ネパールにある土地であり、現在も多くの信仰を集めています。

 

また、ここでは「仏教の四大聖地のうちのひとつ」としてヴァーラーナシーを取り上げていますが、ヴァーラナシーはヒンドゥー教(「ヒンズー教」とも呼ばれる)の一大聖地としても知られています。どちらも非常に大きな宗教ですが、両方の宗教にとって「聖地」とされているのです。

もっともこれはヴァーラナシーに限ったことではありません。たびたび戦争の対象・目的となっている「聖地エルサレム」もまた、ユダヤ教とキリスト教、イスラム教の3つの宗教において「聖地である」とされています。

 

 

<多くの人がブッダ(お釈迦さま)の元に集い始める>

ヴァーラナシーが、ブッダ(お釈迦さま)にとって大きな転機となる土地であったことは間違いがないことだといえるでしょう。その後も、ブッダ(お釈迦さま)は教えを広めていきます。

その後で、ウルヴェーラ・カッサパ(うるびんら・かしょう。優楼頻螺・迦葉。以下カタカナ表記。ほかの2人についても、同じように今後はカタカナ表記とする)、ナディー・カッサパ(がや・かしょう。迦耶・迦葉)、ガヤー・カッサパ(なだい・かしょう。那提・迦葉)、がブッダ(お釈迦さま)に教化されます。

彼らはマガダ国という国のウルヴェーラ地方にいた3兄弟であり、行者でした。特に長兄であるウルヴェーラ・カッサパは当時で120歳を超えていたとされており、火の行者(事火外道・じかげどう)として多くの弟子を従えていました。また、弟であるナディー・カッサパとガヤー・カッサパもそれぞれ弟子を持っており、長兄であるウルヴェーラ・カッサパの元には500人の、次兄であるナディー・カッサパの元には300人の、三男であるガヤー・カッサパの元には200人の弟子がいて、その数は合計で1000人もいたとされています。

 

1000人の弟子を抱えるこのカッサパ兄弟は、当時の一大勢力といってもよいものでした。そんなカッサパ兄弟のところに、ブッダ(お釈迦さま)が通りかかります。ブッダ(お釈迦さま)は、ウルヴェーラの聖火堂に泊めてほしいと打診しました。ウルヴェーラはそれを受け入れますが、同時に、「聖火堂にはまがまがしい毒の龍(毒蛇とする説もある)がいる。どうか御身に害がないように」と告げます。これは親切心もあったかもしれませんが、まだ海のものとも山のものとも知れぬブッダ(お釈迦さま)を試す目的もあったと考えられています。

 

翌日、「きっとあの修行僧は、毒龍に殺されただろう」と考えながらウルヴェーラは聖火堂の戸をあけました。はたせるかな、そこにあったのはブッダ(お釈迦さま)の遺体などではなく、ブッダ(お釈迦さま)の手に持っている鉢の中におとなしく収まっている毒龍の姿だったのです。毒龍はブッダ(お釈迦さま)の法力の元、魔力を失い、静かになっていたのです。

 

この事態は、ウルヴェーラを非常に驚かせました。しかしウルヴェーラらも1000人の弟子を持つ行者ですから、これだけで、すぐにブッダ(お釈迦さま)に心服したわけではありません。

しかしそれ以降もブッダ(お釈迦さま)の法力を見ることになり、ついに、ブッダ(お釈迦さま)の元に改宗を決意します。

そしてそのウルヴェーラらに付き従っていた1000人の弟子も、同時に、ブッダ(お釈迦さま)の教えを受ける立場となります。こうしてブッダ(お釈迦さま)は、1000人以上の弟子を得ることになったのでした。

 

 

<三迦葉に関するエピソードについて>

 

「五比丘」もブッダ(お釈迦さま)の弟子として非常に重大な役割を果たしましたが、このカッサパ兄弟もまた数多くのエピソードを持っています。第6回の最後に、これを少し紹介しましょう。

 

なおカッサパ兄弟は、その名前から、「三迦葉(さんかしょう)」と呼ばれます。五比丘同様、ブッダ(お釈迦さま)の弟子のなかでも非常に重要視されることが分かる呼び方だといえるでしょう。

 

上では、「ブッダ(お釈迦さま)の法力を見て改修を決意しました」としましたが、そのエピソードとして、このようなものがあります。

 

ブッダ(お釈迦さま)が林のなかに入っていったところ、夜だというのに、4つの神々しい光がきらめき、昼間のように明るくあたりを照らしました。翌朝ウルヴェーラが光の理由を聞くと、ブッダ(お釈迦さま)は「(天にいる)四天王が教えを請いに来たのだ」と答えました。

また朝食に誘ったところ、ブッダ(お釈迦さま)はウルヴェーラに対して「先に行っていてください」と言いましたが、ウルヴェーラが時待たずして部屋に戻ったところ、先程「先に行っていてくれ」と言っていたブッダ(お釈迦さま)がすでにいて、しかも手にはヒマラヤの林でとれた果物を持っていたという話もあります。

 

このエピソードにはさらに続きがあり、翌日の夜には前の晩以上に空が光り輝くという事態がおきました。翌朝、同じようにウルヴェーラがその理由を聞くと、ブッダ(お釈迦さま)は「今度は帝釈天が来ていたのです」と答えたのです。

 

 

これらの流れを経て、ウルヴェーラはブッダ(お釈迦さま)に心服するようになったと伝えられています。

 

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