「祈り」「願い」「尊敬」などの多くの感情が込められた「仏像」は、昔から多くの人に作られてきました。
その起源は非常に古く、7世紀ごろまでさかのぼれるといわれています。はるか昔から彫られてきたこの「仏像」は、今もなお多くの人に慕われ、多くの人に敬われ、多くの人のよすがとなっています。
仏像の観方に、明確な正解があるわけではありません。何の知識を持たずに観ても仏像は美しいものですし、私たちの心を打つものです。
ただ、より深く仏像を理解し、それを造った人たちの心に思いをはせようとするのであれば、「その仏像がどのようにして成立したのか」「どのような意味を持っているのか」「どのようにして観ればいいのか」を知っておく必要があるでしょう。
ここでは、「仏像の観方」について解説していきます。
<仏像の観方、どこを観ればいい?>
「どのような観点から仏像を観るか」は人によって異なりますが、下記のような点を知ってから観るとより深くその仏像について知ることができるでしょう。
1.その仏像の姿かたち
2.宗派による違い
3.尊格
4.その仏像の歴史と成り立ち
「尊格」は長くなるので後述するとして、ここではまず「.その仏像の姿かたち」「宗派による違い」「その仏像の歴史と成り立ち」について解説します。
1.その仏像の姿かたち
仏像の姿かたちは、それぞれ異なります。これには、その仏像をつくり上げた人間の意志や技術も反映されていますが、時代による違いや尊格によるところも大きいといえます。
たとえば、飛鳥時代前期の仏像の場合は、比較的厳しい顔をしていることが多いとされています。また、初期の仏像は顔が縦長であったのに対し、時代が近代に近づくにつれてやや丸みを帯びたかたちになっていきます。
また、多くの仏像はつぐんだ口で描き出されるのに対して、一部の仏像は口をあけているといった違いもあります。さらに、鎌倉時代以降の仏像は、口を開けているのみならず、人間と同じように歯を見せているものもあります。
ここでは主に「顔」を取り上げましたが、「体」にも違いがみられます。同じ尊格を持つ仏像であっても、時代や仏師によって顔や体が違うので、この点に注目するのもよいでしょう。
2.宗派による違い
私たちは一言に「仏像」といいますが、宗派によって飾られ方などは異なります。
これは美術館などで観るときよりも家に仏壇を入れるときに意識する部分かもしれませんが、ここで解説していきます。
それぞれの宗派によって、ご本尊と、脇侍(わきじ。左右に配置されるもの)が異なります。
たとえば真言宗の場合は大日如来をご本尊として、脇侍に弘法大使と不動明王を据えます。
浄土真宗本願寺派では、阿弥陀如来をご本尊に、蓮如上人と親鸞聖人を脇侍とします。同じ「浄土」という言葉を冠された浄土宗の場合は、阿弥陀如来を本尊としますが、脇侍には法然上人と善導大師を据えています。ちなみに、曼荼羅を本尊とする日蓮宗もあります。
このように、「宗派による違い」から仏像を観ていくのもひとつの観方です。
3.尊格
これに関しては、次の項目で後述します。
4.その仏像の歴史と成り立ち
歴史的な建造物の中にある仏像の多くは、それが成り立つまでの背景があります。たとえば、日本においてもっとも有名な仏像のひとつである「奈良の大仏」は、災害などで荒れる日本を仏の力で救おうと考えたときの天皇が建立を命じたものです。752年にひらかれたこの奈良の大仏は、今もなお多くの人に慕われています。
このような歴史的な背景を知ったうえで仏像に向かい合うと、その仏像のことをより深く知ることができるようになるでしょう。
なお、著名な仏像の多くは、現地に説明の看板が立てられています。現在はインターネットで簡単に情報を手に入れられますが、このような看板をじっくり読んでみるのもおすすめです。
<「尊格」について知ろう~仏像の種類とは>
上で「後述する」とした「尊格」について解説していきます。
尊格は、「そんかく」と読みます。ごく簡単に言うのであれば「仏像の種類を指す言葉である」となります。
この尊格には、いくつかの種類があります。
・如来
・明王
・菩薩
・天
この4つが代表例ですが、さらに細分化してみることもあります。
ただここでは、代表的なこの4つについて解説していきます。
・如来
「仏陀」あるいは「仏」とも呼ばれるのが「如来(にょらい)」です。
如来は、最高位にある仏であるとされていて、真理に到達したものだと考えられています。
如来の代表的な人物といえば、当然、仏教の始祖であるゴーダマ・シッダールタ(お釈迦様)」が挙げられます。しかしそれ以外にも、生きとし生けるものすべてを救う阿弥陀如来や、病人やけが人を救う薬師如来などが代表例として挙げられます。なお薬師如来は薬壺を持った姿をしているので、知識が特になくてもすぐに薬師如来であることがわかるでしょう。
ちなみに、如来が持つ智慧を表したものは特に「仏母」とよばれています。
・明王
非常に強い力を持つ「明王」もまた、多くの人にその名前が知られています。自らの力でもって迷いを断ち切り、人の煩悩を打ち砕く存在とされています。
「不動明王」に代表されるように、非常に力強く、憤怒の表情で描かれているのが特徴で、剣などの武器を携えています。悪心を縛り上げるなわを持ち、炎をまとった姿で描かれているのも印象的です。薬師如来同様、非常に特徴的な仏像であり、一目見ればすぐに明王だとわかるでしょう。
・菩薩
如来に至る前・修行中の段階のお釈迦様を指した姿を「菩薩」と呼びます。しかし本来は「修行中の身」とされていた菩薩はやがて、「自身が悟りを開かれた後も、あえて世にとどまり、人々を助けてくださる存在である」と解釈されるようになりました。
このような解釈から、菩薩は、苦しむ人々を発見するための多くの顔と、人々を救うための多くの手を持つ姿で描かれることが多くなりました。また、女性の姿で描写されることもあります。
菩薩の代表例としては、「お釈迦様が入滅してから56億7000万年後に現われる」とされている弥勒菩薩や、「弱くはかない子どもを守ってくれる」とされている地蔵菩薩などが挙げられます。
・天
「神であっても悟ることができなければ、人と同じように輪廻の運命からは逃れられない」と考える仏教においては、他宗教の神々を「天」(※別名で『天部』とされることもあります)」と呼び仏よりも低い存在だと考えています。ただ彼らは、仏教の考えのなかに取り入れられ、仏法を守る存在であるとされるようになりました。
このような複雑な経緯をたどった「天」は、その成り立ちゆえに、非常にバリエーションに富んでいます。知に優れた広目天や、バラモン教の女神であった吉祥天などがその代表例だといえるでしょう。
ちなみに彼らは、仏教を信じる人々を守り、彼らが信仰心を貫けるように手助けをしているとされています。なお、彼らは俗世に生きる人々に近い存在だとされているので、たとえば「商売がうまくいきますように」などのお祈りも聞いてくれると考えられています。
上でも述べましたが、仏像を観るときに明確な「正解」「正しいやり方」はありません。すなおに仏像を観て、すなおな心でお参りすることができれば、それで構いません。ただこのような知識をあらかじめ持っておくと、より深くその仏像を理解できるようになるでしょう。