「2011年3月11日」と聞いて、この日がどんな日なのかを答えられない人はいないでしょう。
未曾有の震災である東日本大震災が起きた日、それが2011年3月11日です。
2023年の3月11日は、その東日本大震災から12年、ちょうど干支が一周まわった日となります。
この「2023年の3月11日」を前に、東日本大震災がもたらした被害と、それを現在に生きる私たちがどのようにとらえるべきかを考えていきます。
<死亡者15900人、行方不明者2525人という数字について>
東日本大震災は、非常に多くの被害をもたらしました。そのなかでもやはり特筆すべきは、「失われた人命の多さ」でしょう。
2021年の6月10日に警察庁が発表したデータによれば、東日本大震災が原因で亡くなった人の数は実に15900人もいたとのことです。また、現在もその行方が分かっていない人の数も2525人に上っています。彼らの一人ひとりに命があり、大切な家族があり、大切な生活があったにも関わらず、東日本大震災はそのすべてを奪っていってしまったのです。
なお警察などでは、2021年の段階でも積極的に行方不明者の捜索を続けているとのことです。
また、命こそ助かったものの、生活が大きく変わった人もいました。東日本大震災はさまざまな県にダメージを残しましたが、特に岩手県や宮城県、福島県はその被害の程度が大きく、避難者の数は47万人にのぼったとされています。加えて、このなかには、現地に戻ることをあきらめざるを得ず、ほかのところで生活することを選ぶことになった人もいます。
さらに、東日本大震災の震災によって受けた心の傷に、いまだ悩まされている人も多くいます。自分自身の生活基盤がある日突然打ち壊されたのみならず、自分の大切な家族や恋人、友人の命までをも奪われた人のショックや衝撃は大変なものであり、それから立ち直るには長い時間がかかります。また、直接的な被害がなかったとしても、その衝撃が長く尾を引き、苦しんでいる人もいるでしょう。
東日本大震災から12年という時間は経ち、東北地方の復旧も進みました。しかし多くの人命が失われた震災でしたから、「東日本大震災が起きる前」の状況には戻すことはできません。現在も多くの人が、喪失の痛みを抱えて日々を生きています。
出典:
警察庁「特集1 東日本大震災から10年を迎えて~1. 東日本大震災の被害状況及び主な警察活動」
https://www.npa.go.jp/hakusyo/r03/honbun/html/xf111000.html
<「12回目の3.11」を迎える今年~原発周辺の施設の取り組みについて>
東日本大震災の爪痕は、今もなお日本に残るものです。
現在でも自治体では東日本大震災に関する話し合いが行われています。
たとえば、東日本大震災の被害を表すキーワードとして「原発事故」と「津波」が挙げられます。
原発事故でも津波でも、ご自分で逃げることが難しい人たちの避難が問題となりました。このことから、「次に同じことが起きたらどのようにすべきか」「要支援者・要介護者が集まりやすい医療機関や福祉施設は、どのように動くべきか」の話し合いと、その計画を作ることが強く求められました。
その結果、原発から30キロ以内にある該当施設の多くは、この東日本大震災の後に避難計画を組み立てていることが分かりました。NHKの調査によれば、調査対象となった4183施設のうちの3116施設は、すでに避難計画を作っていたということです。これは、全体の4分の3程度にあたる数字です。また、該当施設のある19の都道府県のうち、10の都道府県では作成率がなんと100パーセント、それ以外のところでも5つの自治体が作成率95パーセントを誇っています。
※ただし県のなかには、該当施設がどの程度計画を作成したかを把握していないところもあるということが分かっています。
なお津波に関しては、2011年に「津波防災地域づくりに関する法律」が組み立てられました。これは東日本大震災の発生から約9か月後にあたって作られたもので、津波に対抗できる地域を作ることを目的としたものです。
この法律によって、多くの地方自治体が「災害(特に津波)の対策」に力を入れ始めました。
そのなかでも、静岡県の浜松市はこの「災害に強い地域づくり」に力を入れた市として知られています。
それを分かりやすく伝えるのが「避難所の数」です。2011年までは、浜松市の指定津波避難所の施設の数は25棟を大きく割り込むものであり、しかも南区と中区には指定津波避難所はまったくありませんでした。しかし東日本大震災の後の2012年には一気に200棟を超える数を記録し、2014年には南区・西区・中区の3つの区にこれが建てられます。その後も増設が続けられ、2017年の段階では300棟近くの指定津波避難所が作られています。
今回は一例として静岡県浜松市のデータを取り上げましたが、このような取り組みは日本各地で行われています。東日本大震災によってもたらされた被害を元に、再度の悲劇を防ごうと多くの人が動いているのです。
出典:
NHK「原発周辺 要支援者の施設 避難計画策定進む 自治体が未把握も」
https://www3.nhk.or.jp/news/html/20230309/k10014003031000.html
佐野浩彬 岩井優祈「東日本大震災以降の地方自治体における津波対策防災の動向―静岡県浜松市における取り組みを事例に―」
https://www.jstage.jst.go.jp/article/jags/15/1/15_65/_pdf/-char/en
<12回目の3.11」を迎える今年~私たちができること>
上記では東日本大震の被害や、その後の地方自治体の取り組みについて解説してきました。
それでは私たちが個人レベルで取り組むべきことには何があるのでしょうか。
1.防災用品の見直しを行おう
東日本大震に限ったことではありませんが、災害はある日突然起こるものです。そのときにまず守るべきは命ですが、防災用品はその「命」を守るために役立ちます。防災用品を用意していない人はこれを用意する必要がありますが、「すでに用意している」という人もその見直しを行いましょう。特に水や食料品は賞味期限があるものですから、今でも飲める・食べられるものかどうかを見直してください。小さなお子さんがいるご家庭の場合は、1年で「食べられるもの」が変わることもあります。そのため、特に念入りなチェックが必要です。
2.避難マップの確認と共有を
有事の際の避難経路の確認と、その共有を行いましょう。
特に沿岸部の場合は、「安全に逃げられる経路」がどこであるかをしっかりと確認しておくことが重要です。自宅にいるときに避難する経路、職場や学校にいるときに避難する経路など、複数のパターンを想定して、避難経路を定めるようにします。
「災害に見舞われたらどこに逃げるのか」を確認すると同時に、それを家族間で共有しておくようにするのです。災害時は、携帯電話の電波などが極めてつながりにくくなるため、「お互いに別々のところに避難していて、合流ができなくなる」などの可能性が考えられます。
3.寄付や検索も力になる
東日本大震を受けて、その痛手を乗り越えるための活動をしている人や、防災プロジェクトを打ち上げているチームなどがあります。これらの人・チームに、クラウドファンディングというかたちでサポートを行うのもひとつの手です。
また、「3.11」と検索するだけで寄付が行える活動をしているサービスをしているところもあります。このようなところを利用するのも良いでしょう。
東日本大震で失われた人命は、決して戻ってくることはありません。
しかし東日本大震を「知ること」「忘れないこと」「思い出すこと」、そしてその記憶を生かすことで、次に起こるであろう震災の被害を減らすことは可能です。
2023年の3月11日をどう過ごすかを考えてみましょう。
※本記事は2023年の3月10日に作っています。