仏教の宗派のなかに「禅宗」と呼ばれるものがあります。
今回はこの「禅宗」について取り上げて、その意味や歴史について解説していきます。
<そもそも「禅宗」とは何か? その意味とスティーブン・ジョブス>
まず、「そもそも禅宗とはいったい何か」について解説していきます。
禅宗とは、大乗仏教のうちのひとつです。
「大乗仏教」は「小乗仏教(※ただし現在は『小乗仏教』は侮蔑の意味を持つ言葉であるとされているため、『上座部仏教』と呼ばれることが多い。下記では『上座部仏教』の表記に統一する)」と対のかたちで歴史の授業でも習うものですが、ここでおさらいもしておきましょう。大乗仏教はあらゆるものを救う仏教の考え方であるのに対し、上座部仏教は個人を救うための仏教であるとされています。大乗仏教の場合はたとえ悟りを開いていなくても救われるとしていますが、上座部仏教の場合は出家して修行し、悟りを開いたものにこそ救済の手が差し伸べられると考えます。
このような考えの違いによってこの2つは分けられています。また、同じ大乗仏教・上座部仏教でも、それぞれの宗派によって考え方が異なります。
そのなかでも禅宗は、「座禅を組むこと」を非常に重要視しており、人は座禅を行うことでその心の本性が見えてくる。それによって悟りを得られる」と考えます。禅宗のもたらす精神への影響は非常に大きく、かのスティーブン・ジョブスもまた、禅僧と出会ったことで、その価値観が変わったといわれています。スティーブン・ジョブスは日本の禅僧に30年間にもわたって師事をし、その考えを学びました。スティーブン・ジョブスは多くの伝説を残した人物でしたが、その生き方には、この「禅」の考えがあったのではないかともいわれています。
<禅宗の歴史と考え方を知ろう>
ここからは禅宗の考え方について少し詳しく見ていきましょう。
禅宗は「教外別伝(きょうげべつでん)」「不立門字(ふりゅうもんじ)「直指人心(じきしにんしん)「見性成仏」を旨とします。
教外別伝とは「言葉による説諭や経典の学習によって人は悟りを開くのではなく、(人の)心から心へと直接伝えられていくものだ」という考え方です。
「不立門字」は教外別伝と似た意味を持つものであり、「悟りは言葉や文字によって得られるものでもなければ、これによってあらわされるものでもない。ただ修行を積み、人の心から心から伝えるものである」とする考え方です。
「直指人心」は、続く「見性成仏」と一緒に語られることが多いといえます。これも、文字や経典などにとらわれず、自分の心の奥に潜むものをしっかり見つめ、本当の自分(=仏性)を理解せよ、とする考え方です。また、「見性成仏」は、対象そのものと一体化すること=自分の中に潜む仏性と一体化することを唱えるものでもあります。
このような考え方を中心とする禅宗の考えは、中国で生まれました。
この禅宗の考え方を持ち込んだのは、達磨大師(かつてインドにあった王国で、国王の子どもとして第三子として生まれた人物)によってもたらされたといわれています。ちなみに達磨大使は40年もの時間をかけて修行した人物であるとされています。
禅宗という概念が誕生したのは、6世紀ごろだと考えられています。その概念を達磨大師が中国に持ち込み、明の時代にこの考え方が花開きました。明時代においては、仏教といえばこの禅宗を指していたといわれています。
なお、次の項目からは「日本から見た禅宗」「日本における禅宗」を取り上げますが、日本に禅宗の概念が伝わったのは、禅宗が「誕生」してから何百年も後のことです。日本は昔から中国に学んできましたが、禅宗という明確な概念が日本に取り入れられて日本で親しまれるようになったのは、鎌倉時代になってからです。つまり禅宗の誕生から600年~700年後のことになるのです。
<禅宗の種類について知りたい>
仏教は長い長い歴史を持っています。その歴史のなかで、指導者の考え方の違いから、多くの宗派に枝分かれをしました。禅宗もまた、その例外にもれません。日本において「禅宗」という言葉が使われるとき、それは「臨済宗(りんざいしゅう)」「曹洞宗(そうとうしゅう)」「黄檗宗(おうばくしゅう)」の3つを表すことが多いといえます。なお、いずれの宗派も在来仏教に数えられています。
1つずつ解説していきましょう。
・臨済宗
「臨済宗」は、鎌倉時代に日本に伝わってきた宗派です。その開祖は唐の時代に生きた僧侶「臨在義玄(りんざいぎげん)」であったとされています。彼の教えはやがて、栄西禅師によって日本に持ち込まれました。臨済宗は時の幕府・時の権力者の全面的なバックアップを受けることとなり、武家社会によくなじんでいきます。ちなみに臨済宗の禅の修行は、前線で戦う兵士たちの剣の修行の一環としてとらえられていました。
加えて、当時の文化(水墨画など)に対しても色濃い影響を与えることとなります。
臨済宗では、「人はひたすらに座禅を組みさえすれば、だれもが持っている善性によってお釈迦様と同じ心持ちに至れる」と説きます。また、修行の一環として、「看話禅」を行います。これは、師が弟子に問題を投げかけ、弟子がそれに答えていくというスタイルです。この「答え」とは、単純な「理論」ではなく、精神的なものから導き出されるものです。
ちなみに上でも述べたように、禅宗には唯一とする経典はありません。また、繰り返し唱えるべきお題目もありません。ただ、般若心経などは好んで読まれますし、仏さまに寄与することを表す「南無釈迦尼仏(なむしゃかにぶつ)」という言葉はよく唱えます。
・曹洞宗
「曹洞宗」は道元禅師によって中国から運ばれてきました。ちなみに彼は、今でもその名前を残す永平寺を開いた人物です。ちなみに曹洞宗は、大本山が2つある珍しい宗派です。その大本山のうちの1つが永平寺、もう1つが横浜にある総持寺ですが、この2つに優劣はありません。
禅宗は座禅を組むことを大切にしていますが、曹洞宗はそのなかでもこの傾向が顕著です。臨済宗においては、「修行のために座禅を組む」という考えはありません。座禅そのものが悟りであると考えているのが大きな特徴です。
日本でも有数の大きな宗教・宗派です。そのため、「自分が曹洞宗であることは意識していなかったけれど、たどってみると曹洞宗だった」という人もいるかもしれません。
・黄檗宗
黄檗宗を説明するうえで欠かすことのできないキーワードが「木魚」です。お寺での法事を物語などで描くときに必ず用いられているこの「木魚」は、黄檗宗によってもたらされたとされています。なお黄檗宗は日本に伝わったタイミングがやや遅く、江戸時代になってからです(臨済宗と曹洞宗は鎌倉時代に伝わっています)。
黄檗宗は、「自らの内側にある阿弥陀仏を見つけよう」とする考えを持つのが大きな特徴です。また、ほかの「日本ナイズド」された2つの宗派とは大きく異なり、今も中国の方式を色濃く残しています。経典を読むことがありますが、その経典も中国語の発音で唱えられます。
ちなみに黄檗宗は、「普茶料理(ふちゃりょうり)」と呼ばれる料理や、煎茶などの「食」に関わる文化を広めた宗派でもあります。精進料理である普茶料理は、素朴でありながらも美しく、見る人・食べる人を魅了してくれます。