〔あおき葬祭コラム〕第94回:「大安」に葬儀や法事を行っても問題はない?

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暦の分け方のひとつとして、「六曜」があります。そしてこのなかに、「万事においてよい」とされる「大安」があります。

今回は六曜の歴史や概要について解説しながら、「大安の日に葬儀や法事をしてもよいのか」という疑問に答えていきます。

<六曜とは、古代の中国で成立した暦の考え方>

「六曜」は、「ろくよう」もしくは「りくよう」と読みます。暦の分け方のうちのひとつであり、非常に有名なものです。令和の現代においても、六曜を記したスケジュール帳やカレンダーは広く販売されています。

六曜の考え方は、古代中国で生まれたとされています。はっきりした発祥年は不明ですが、「諸葛孔明によって生み出されたのではないか」「唐の文化のなかで生まれたのではないか」などの説がささやかされています。

ただ、六曜が生まれた年自体はわかっていないものの、六曜という考え方が日本に伝わってきた時期に関しては「14世紀の鎌倉時代であろう」とある程度正確な時代が示されています。中国をお手本としてきた日本においては、この六曜の考え方も広く受けいれられるようになりました。ただ、その名前や解釈に関しては、ほかの文化がそうであるように、時代によって少しずつ変わっていっています。

さてこの六曜は、文字通り、日を6つに分けるものです。

6つの種類とその意味は、以下の通りです。

・先勝……

「せんしょう」「さきがち」などのように読まれます。読んで字のごとく、「早くに行えば勝つ」という意味を持ちます。午前中までは吉で、14時~16時までは凶とされているため、この日は何事も早くに行うべきだと考えられています。また、訴訟事に良い日だと考えられています。

・友引……

「ともびき」と読みます。「引き分ける日」であると考えられていて、この日に勝負事を行っても勝負がつかないと考えられています。1日の吉凶で考えた場合、「朝は良く、昼は凶で、夕方は大吉」となります。

「友引」は、葬儀の場で非常によく耳にする言葉です。なぜなら、この日に葬儀を行うと「友が引かれる(=故人が冥途の旅に友人を連れて行ってしまう)とする考えがあるからです。そのためこの日に葬儀を行う場合は、友人の変わりとして、「友引人形」を棺に入れることもあります。なお、友引人形は3000円程度で販売されています(※希望する場合は葬儀会社に伝えてください)。

・先負……

「せんぷ」「さきまけ」などのように読まれます。「先勝」と対になるものであり、急いで物事を行うのは避けるべき日だと考えられています。特に午前中は凶であるとされています。

・仏滅……

「ぶつめつ」と読みます。「仏が滅する」と書くことから、物事が終わる日だとされています。六曜のなかでもっとも縁起の悪い日のことであり、この日に結婚式などの慶事を行うことは避けるべきだと考えられています。かつては、結婚式場などでは「仏滅に式を挙げる場合は、料金を安くする」などの対応がとられていたともいわれています。

ちなみに、仏滅は慶事を避けるべき日だとされていますが、葬儀や法事などには適した日だと考えられています。そのため、慶事とは反対に、弔事のときにはこの日がもっとも適しているとされています。

・大安……

「たいあん」と読みます。仏滅と対になる日であり、「何事にも良い」とされている日です。1日を通して吉とされている日であるため、結婚式などの日はよくこの日が選ばれます。

・赤口……

「しゃっこう」「せきぐち」のように読みます。これも縁起の悪い日であり、特に慶事は避けるべき日だと考えられています。「凶日」にあたる日で、この日は特に刃物・火の取り扱いには注意すべきだとされています。ただそれでも、仏滅よりは赤口の方がまだ縁起が良く、「仏滅は一日を通して万事大凶だが、赤口は正午だけは吉である」といわれています。

<実は六曜は仏教には関係なし! 大安の日の葬儀・法要でもまったく問題ありません>

上記では六曜の意味とその日の種類について解説してきましたが、実は六曜は仏教とはまったく関係のない概念です。

「仏滅」「中国から伝わってきた暦」ということで、非常によく六曜と弔事の日程は結び付けられてきましたが、これはただの迷信にすぎません。そもそも六曜の発生には仏教は影響していないとする考え方が主流です。そのため、お寺などでも「仏教と六曜」を絡めて教えを説くところはありません。お寺のなかには、「六曜と仏教は関係がない。また、関係するのだとしたら、仏滅は仏さまが入滅された日なのだから、その日はむしろおめでたい日だとだといえるのではないか」とするところもあります。

つまり、六曜に従って「大安の日には葬儀や法事を避けなければならない」と考えるのは根拠のない話だといえます。また同様に、「友引の日だから、葬儀は違う日にしないと(あるいは友引人形を入れないと)」と考える必要もないということです。

大安の日に法事を行っても不吉なことは起こりませんし、友引の日に葬儀を行っても友人まで亡くなってしまうことはありませんし、仏滅の日以外に葬儀や法事を行うと良くないことが起こるわけではありません。

もっとも現在は、そもそも六曜を気にしないで葬儀・法事を行う人も非常に増えています。宗教への帰属意識が薄くなってきていること、葬儀や弔いのかたちが多様化していっていること、インターネットが広く普及し「六曜と葬儀・法事は関係がない」と知れ渡ったことなどがその理由と思われます。

<それでも気にする人がいるのならば、日付をずらすのもひとつの方法です>

葬儀や法事は、残された人と旅立っていく人のために行うものです。そのため、大切にするべきは、六曜の考え方よりも「残された人たちが納得のいく日にお見送りをすること」だといえます。

ただ同時に、「葬儀や法事は、残された人と旅立っていく人のために行うものであるから、反対する人がいればその人のために日を移すのも選択肢のひとつである」とはいえます。

たとえば、「故人が六曜を非常に気にする人で、自分は仏滅の日に見送られたいと言っていた」「故人の兄が六曜を気にしており、友引や大安の日に葬儀・法事を行うのは避けたいと言っている」などのようなケースでは、大安以外の日に葬儀・法事を行う方がよいでしょう。そのような希望を無視して、「六曜は迷信だから」と大安の日に葬儀や法事を行った場合、反対する気持ちを持つ人は落ち着いてお参りを行えなくなってしまうからです。

幸い現在の技術をもってすれば葬儀の日程を1日後ろ倒しにすることは、それほど難しいことではありません。

また法事も、「亡くなった日の近く(前倒し)の土日」で行われることが多いものであり、それほど厳密なものではありません。つまり、気にする人がいるのならば大安の日の禅宗などに法事を行えばいいといえるのです。

六曜は、たしかに「迷信」であり「仏教と関係のないもの」です。

言い方を変えれば、柔軟に考えても良いものだともいえます。どうしても気になる人がいるのならば、その人のお心を考えて、別日に葬儀や法事を行うのもよいでしょう。

誠実に真摯に故人を見送りたいという気持ちは一緒のはずですから、そのような人に心地よくストレスなく過ごしてもらえるようにするのもまた、喪家側の務めといえます。