「十三仏」という言葉を聞いたことはあるでしょうか。部故郷について深い関心と信心がある人にとってはなじみ深いものかもしれませんが、おそらく多くの人にとってはそれほど親しみがない言葉だと思われます。
今回はこの「十三仏」を取り上げて、「十三仏の歴史と考え方」「十三仏にみる信仰の在り方」「十三仏の性質の概要」を解説していきます。
<十三仏の概要、「始まり」の歴史について>
「十三仏」とは、仏教用語のうちのひとつであり、また仏教における信仰対象を指す言葉です。名前からもわかる通り、13人の仏さまから成り、そしてそれぞれの仏に対応する「審判」があります。
仏教のことに詳しくない人でも、「人は冥途を旅して、その最後に審判を受けて、どこに行くか決まる」という死生観を持つことは知っているでしょう(※ただし、宗派によって一部違いはあります)。残された者が、初七日法要・二七日法要・三七日法要・四七日法要・五七日法要・六七日法要・七七日法要(四十九日法要)、そして百箇日法要や一周忌法要、三回忌法要・七回忌法要・十三回忌法要・三十三回忌法要……などのような追善供養を行うのは、故人に下されるこの審判がより良きものであるようにと願ってのことです。そして十三仏は、このような大事な審判を担う裁判官の役割を背負っているといわれています。それぞれの審判に対応する仏がいて、それが十三仏を語るうえでのキーにもなってきます(※これについては後述します)。
なお現在は、二七日法要~六七日法要は省略されるのが一般的です。また初七日法要も、「繰り上げ初七日法要」として、火葬の日に行ってしまうのが基本となっています。日本全国に人が散らばるようになった今、「お葬式のために会社を休ませ、初七日法要でまた休んでもらい、交通費もかけて1週間ごとにきてもらうこと」は現実的ではないという判断からでしょう。
十三仏の歴史は、鎌倉時代~南北朝時代に始まったとされています。この時代、日本は非常に不安定な時代でした。あらゆるところで戦が起こり、治安は悪化し、人は天寿をまっとうすることすら難しかったといわれています。
古今東西、どの時代・どの場所にもいえることですが、このような状況になると、人は「自分たちの力では及ばないところ」「人間の力を超えるもの」を強く求めるようになります。そのような人智を超えた力が自分たちを救ってくれると信じ、またたとえ命を落としても死後の世界では安らかに心を休められるだろうと考えるようになるからです。
仏教には「宗派」があり、それぞれで信仰する対象なども異なり、宗教的な解釈が異なる部分もあります。しかしこと十三仏にいたっては、宗派を超えて多くの人に信じられ、また日本人全体に共通する死生観の土台になったともいわれています。
<十三仏の宗教における考え方と、諸外国との関係性>
上でも軽く述べましたが、十三仏は、宗派を超えて広く多くの人に受け入れられた概念だといえます。日本において非常に重要な意味を持つこの十三仏ですが、実は、十三仏そのものを扱った学問はないといわれています。
これを表す象徴ともいえるのが、「十三仏を扱った経典はない」ということです。
仏教の歴史は非常に古く、その起源は紀元前4世紀~6世紀ごろにまでさかのぼれるといわれています。しかしこのように長い歴史を持つ仏教のなかにおいて、十三仏は「教義的な証拠」がない概念だといわれています。
また日本ではかつて中国をひとつの手本としていました。近年にいたってなお、多くの人に信じられている仏教もまた、中国から伝来してきたものだといわれています。この中国では、「十王信仰」という考え方がありました。これは、初七日~三回忌までの審判を行う王を示すものであり、日本にも取り入れられました。
日本の十三仏もまたこの十王信仰に影響を受けているとされていて、十三仏も最初は「十仏」だったとされています。中国では十王に「道教的な概念」を強く見出しているのに比べて、日本の十三仏の場合ははじめは真言的な要素が強く見出されていたと考えられています。そのため、十王と十三仏は、似ている性質はあるものの、イコールで語ることはできないものといえます。
このような歴史的背景を持つため、しばしば十三仏は、「(ほかの国からの影響が皆無とはいえないものの)日本が独自に発展させた仏教的概念である」とされることがあります。
十王信仰を始めに受け入れたのは関東だといわれていますが、その後でこれは「十三仏信仰」に変化し、日本各地に広がっていきます。十三仏は宗派を超えて多くの人に受け入れられ、頼みにされていきましたが、やがて広まっていくにつれ、「その中心をだれに据えるか」は宗派による違いがみられるようになりました。最初は阿弥陀仏が最終的な救い主であると解釈されていましたが、密教系における仏様の代表である大日如来が注目されたこともありますし、禅宗系においては釈迦如来が重んじられた……などのように、少しずつ変化が出ていきます。
ちなみに日本に残る最古の十三仏の像は、山口県山口市にある「深谷十三仏(ふかだにじゅうさんぶつ)」であり、1407年に制作されたものだとされています、なおこれは、市によって1977年に有形文化財に指定されました。
こんにちに残る十三仏の考え方は、すでに述べた通り、「追善供養を行う考え方」だと広く解釈されています。
しかしこれも解釈に違いがあり、なかには「追善供養の効果は、本人が積み重ねた功徳の7分の1程度の効果しかない。そのため、人はあらかじめ功徳を積み重ねることそが寛容である」とする説もあります。また、14世紀ごろに書かれた文献においても、生前に功徳を積むための日が記されています。
宗教に明確な「正解」はありませんが、十三仏のたどってきたこのような歴史と、解釈の違いはなかなか興味深いものといえます。
<十三仏の概略について>
それでは最後に、十三仏のそれぞれの性質と概略、担当する審理について解説していきます。
1.不動明王(ふどうみょうおう)
武器を持つ姿で描かれる不動明王は、非常に男性的な出で立ちをしています。不動明王の持つ武器は、故人の現世への未練を断ち切るものといわれています。
「現世と未練を絶つ」ということからも分かるように、法要のなかでももっとも早いタイミングである初七日を担当します。
2.釈迦如来(しゃかにょらい)
仏教の祖であるゴーダマ・シッダールタその人を指します。仏教の功徳を積んでこなかった人であっても、釈迦如来はその教えを説き、旅路のサポートをしてくださると信じられています。二七日を担当しています。
3.文殊菩薩(もんじゅぼさつ)
ことわざにもあるように、「知恵」を表す仏様です。子どものころのゴーダマ・シッダールタを導いたともいわれており、三七日を担当します。
4.普賢菩薩(ふげんぼさつ)
広くあまねくものに心をかけてくださる仏様で、慈愛を表す仏様でもあるとされています。人の煩悩を絶ち切ることができるとされている普賢菩薩は、四七日を担当します。
5.(地蔵菩薩)
いわゆる「お地蔵さん」のことです。弥勒菩薩が現れるまでには、お釈迦様が現れてから実に56億7000万年を待たなければなりませんが、その間は地蔵菩薩が人を守ってくださると信じられています。また、自分自身では力を持たぬ子どもに対して救いを与えてくださる仏様でもあります。
五七日法要を担当します。
6.弥勒菩薩(みろくぼさつ)
遥か時のかなたに現れる仏様で、未来に生きる者たちを救ってくださると考えられている仏様です。
六七日法要を担当します。
7.薬師如来(やくしにょらい)
名前からもわかるかと思われますが、病に悩む人を救済してくださる仏様です。薬ツボを持っていて、四十九日を担当します。
8.観世音菩薩(かんぜおんぼさつ)
「相手がどのような人であったか」によって、そのお顔が変わるとされている仏様です。
優しい表情で、命尽きた人に手を差し伸べると考えられています。
「かんぜおんぼさつ」と読みます。人のス羽田に応じてお顔が変わることで知られている仏様であり、阿弥陀仏のサイドを固めることでも知られている仏さまです。
慈悲のお顔で亡くなった人を救い、阿弥陀仏の元に導くと考えられています。
百か日を担当します。
9.勢至菩薩(勢至菩薩)
尽きることのない光を持つ仏様で、その光によって人の持つ苦しみを打ち消してくださるとされています。
ただし昔は、勢至菩薩の代わりに胎蔵界大日如来がおかれていたこともあります。
一周忌を担当します。
10.阿弥陀如来(阿弥陀如来)
尽きることのない命を持つ阿弥陀如来は、人を西方浄土に連れていってくださるとされています。
三回忌を担当しています。
11.阿閦如来(あしゅくにょらい)
仏教の最終目的である「悟り」に至るための心を持つことの大切さを人に伝える仏様で、その心には迷いも動揺もないと考えられています。
七回忌を担当します。
12.大日如来(だいにちにょらい)
神々しいまでの光と、それに対応する徳を持っているとされている仏様です。
その人が得てきた仏教の教えがどれほどのものかを見極める役目を持っている大日如来は、十三回忌を担当します。
13.虚空蔵菩薩(こくうぞうぼさつ)
最後、三十三回忌を担当します。
知恵・力・記憶のすべてを持つ仏様で、この仏様の元で人は最後の地にいたります。