〔あおき葬祭コラム〕第75回:年末の風物詩「除夜の鐘」、その歴史を探る

投稿日 カテゴリ おあきの葬祭コラム, お知らせ

年末の風物詩といえば、「除夜の鐘」でしょう。

実際にお寺に足を運ぶ人もいますし、これをつく情景をテレビなどで見る人もいます。

遠くに除夜の鐘がつかれる音を聞きながら年越しそばを食べるのが大晦日の光景である、という人も多いのではないでしょうか。

ここでは、この「除夜の鐘」の成り立ちと意味、その歴史について解説していきます。

<除夜の鐘の歴史について~除夜の鐘の生まれ故郷は、インドではなく中国にあり>

除夜の鐘は、お寺でみられる物(またその風習)を指す言葉です。仏教独自のものであり、キリスト教はもちろん神道でも除夜の鐘はつきません。かつての日本においては「神仏混淆(しんぶつこんこう)」という考え方があったため、この2つがわかたれた後でも、共通している宗教儀式はあります。しかしそんななかでも、除夜の鐘はあくまで「仏教のもの」であり、神道にはみられないのです。

ではこの除夜の鐘の歴史はどこから始まったのでしょうか。

除夜の鐘の歴史の始まりは、中国の宋時代(960年~1279年に中国に存在した王朝。北宋と南宋の時代に分かれているが、元によって滅亡に追い込まれた)にあるといわれています。

仏教がインドで興った宗教であることは周知の事実ですが、仏教の元祖であるインドでは梵鐘(ぼんしょう)を仏具とする考え方はありませんでした(なお現在では仏教の祖国であるインドでは仏教徒はほとんどいません。歴史のなかにおいて、インド仏教は衰退していったからです)。インドから中国に渡った後に、中国で梵鐘が仏具として用いられるようになったと考えられています。

そして中国の仏教においては、月の終わりの夜にいつも梵鐘を108回ついていたとされています。しかし時代が経つに従い、この「月末につく108回の梵鐘」は下火になっていき、宋の時代には大晦日のタイミングでのみつかれるようになったと考えられています。

ちなみに中国に仏教は伝わったのは67年ごろのことともいわれています。インドから伝わってきた仏教が、少しずつ「中国ナイズ」されていく過程で、除夜の鐘の概念も生まれたのかもしれませんね。

<日本における除夜の鐘の歴史、その伝来と広がりについて>

さてこのようにして、「大晦日に108回の梵鐘をつく」という文化が生まれたわけですが、これはやがて日本にも伝わってきます。

日本に仏教が伝来してきたのは500年代のことと考えられていますが、除夜の鐘の文化が伝わったのはもっと遅く、鎌倉時代(1185年~1333年)だとされています。

宋が980年~1279年まで続いた王朝だということを考えれば、「宋で除夜の鐘の文化が芽生えてから、60年~200年程度の間に日本にも除夜の鐘の文化が入ってきた」といえるでしょう。

除夜の鐘の文化を日本にもたらしたのは、中国から渡ってきた禅僧だったとされています。

彼らは日本の禅宗の寺院に、除夜の鐘の意味を伝えました。

かつての日本では「中国は私たちのお手本である」という考え方がありましたから、除夜の鐘の文化もまた浸透しやすい状況にあったと推察されます。

このようななかで除夜の鐘は、徐々に日本に根付いていきました。

日本において特に除夜の鐘の文化が広まりをみせたのは、1338年~1573年ごろのことだといわれています。

除夜の鐘の元祖である宋が滅びた後も、除夜の鐘の文化は海を渡った日本で広がり続けたわけです。

なお、町人文化が花開いた江戸時代においては、さらに除夜の鐘が一般化して市井の人にも広く親しまれるようになったと考えられています。この時代には多くの寺院が除夜の鐘をつくようになったとされています。

今のように、「年末=除夜の鐘」「除夜の鐘は年の終わりの風物詩」という認識ができたのは、この江戸時代だったかもしれませんね。

ただ、日本における除夜の鐘は、「鎌倉時代以降、ずっと途絶えることなく現代にまで引き継がれたもの」ではありません。

歴史の授業などで学んだことのある人もいるかもしれませんが、日本では第二次世界大戦中に「金属類回収令」が出されました。これは、武器の生産に必要不可欠な金属の資源が枯渇したことから行われたもので、国の権限で金属類を回収するという勅令でした。これによって、梵鐘を徴収されることになり(一部例外はあります)、昔から引き継がれていた梵鐘をつけなくなった……という寺院もあります。

なお多くの寺院では戦後に新しい梵鐘が作られました。たとえば、紅葉で有名な常寂光寺などは、金属類回収令によって一度徴収されたのち、1973年に再度鋳造されています。

「除夜の鐘」という、今では当たり前となった年末の風物詩にも語るべき長い歴史があります。人にも歴史があるように、物にも長い歴史があるのです。

<除夜の鐘の持つ意味、つく回数、つく時間について>

ここまで除夜の鐘の歴史をたどってきましたが、それでは、そもそもなぜ除夜の鐘はつかれるのでしょうか。

ここからは、除夜の鐘の持つ意味とつく回数、それからつく時間について解説していきます。

除夜の鐘をつくのは、「煩悩を打ち払うためである」と考えられています。

除夜の鐘をつくことによって人間が抱えている108の煩悩を清めることができ、清浄な心で新年を迎えられると解釈されています。

では、「108の煩悩」とはどこからきているのでしょうか。

人間には

・耳(聴覚)

・目(視覚)

・鼻(嗅覚)

・舌(味覚)

・身(触覚)

・意(意識)

の「六根」があるとされています。そしてこの六根の状態は、「快感」「不快感」「どちらでもない状態」に分けられます。さらに、「きれい」「汚い」に2分され、ここに「未来」「現在」「過去」の3つが組み合わされるとされています。

六根(6)×感覚(3)×きれい・汚い(2)×時間(3)を掛け合わせた数字が108となります。この108の感覚を「煩悩である」と判断しています。

また「四苦(4×9)+八苦(8×9)」を合わせた数字が108であることからこの数字が導き出された、とする説もあります。また暦からとったとする考え方もあります。

「108の煩悩が何を由来としているか」は諸説ありますが、現在は上記のような解釈がよくなされます。いずれにせよ、人間が生きていくうえで必ず持ってしまう苦しみや欲などを払って新年に向かいたい……という思いが、「108回つかれる除夜の鐘」につながっているといえるでしょう。

なお現在は、「並んでいる人全員に1回ずつついてもらう」としているところもあるため、108回以上の回数となることもあります。

除夜の鐘は年末の風物詩ではありますが、実際には「最後の1回は年が明けてからつくもの」とされています。これは、「旧年の煩悩を打ち払うとともに、新年を煩悩にそそのかされずに生きていけるように」という願いが込められているからだといわれています。

なお2021年の年末~2022年の年始にかけては、大寒波が日本を襲っています。電車のダイヤの乱れが懸念されているうえ、新型コロナウイルス(COVID-19)の影響から慎重になっている寺院もあります。そのため、「実際に寺院に足を運んで除夜の鐘をつきたい!」という場合は、天候状況・電車の運行状況・寺院の開院状況などの最新情報にあたるようにしてください。また、しっかりと防寒対策をして足を運びましょう。

2021年も、もう残りわずかです。除夜の鐘の歴史に思いを馳せつつ、敬虔な気持ちでこれに向かい合ってみてはいかがでしょうか。