新築の家を建てるときに和室を設けない家も多くみられるようになった現在ではありますが、それでも、多くの人が「和室」といえば「掛け軸がかかっていて、床の間があって……」というものをイメージするのではないでしょうか。
ただその「掛け軸」がどのように伝わり、またどのような背景を持っていて、そして現在どのように考えられているのかに思いをはせる人はそう多くありません。
今回はこの「掛け軸」に注目し、その歴史や背景、現在の考え方について解説していきます。
<掛け軸は実は仏教と深い関わりを持つ>
実は掛け軸は、「仏教」と非常に深い関わりを持つものです。
仏教は中国から日本に伝わりましたが、掛け軸もまた中国から日本に伝わったものです。
中国の王朝である「晋王朝(歴史上、『晋王朝』と呼ばれるものは複数あるが、ここでは司馬炎が興したものを指す。265年~419年にかけてみられた王朝で、その前半期に当たる西晋王朝は劉聡によって滅ぼされ、後半期にあたる東晋王朝は禅譲によって滅んだ。なお滅んだ年を420年とする説もある)」が、仏教を広めるために使ったものとして、「仏画」があります。
ただこの仏画は、仏教の布教の一助とはなりましたが、「壊れやすい」という難点がありました。
そのため、それにとって代わるものが求められたのです。
そのような理由によって作られたのが、掛け軸でした。
ただこの頃は「掛け軸」といっても今ほど系統だったものではなく、「巻物形をした、仏様の絵」だったとされています。
この「巻物形の絵画」は、非常に便利でした。箱に入れて片付けることができるので、汚れがつく心配も少なくて済みます。また、絵画に限ったことではありませんが、物は「日光」を受けると基本的に劣化していきます。箱に片づけられる巻物形の絵画はこの「日光による影響」も受けにくく、保存の面でも優れていました。
なお、現在でも伝わり広く親しまれている掛け軸のかたちが確立したのは、唐時代だったといわれています。唐時代は618年から907年まで、約300年にも及ぶ長い時代ですが、このときに「掛け軸文化」が花開いたとされているのです。
唐時代には数多くの有名な詩人が輩出された時代であり、中国文化が大きく発展した時代でもあります。そのような時代に生まれた「現在につながる掛け軸」は、それ以降も深く愛されるようになります。
<日本にももたらされた掛け軸文化>
さてこのようにして中国で生まれた掛け軸の文化ですが、これは時待たずして、日本にも伝わることになります。
日本に仏教が伝わった年はいつか? に関しては多少資料によって見解が異なります。552年(日本書紀)とも538年(元興寺縁起)であるともいわれています。また、「正確な数字を求めるのは難しいが、500年~あたり(6世紀の初めのころ)には、すでに仏教が伝わっていたのではないか」とする説もあります。
正確な数字を出すのは難しいのですが、おおむね500年~600年あたりに仏教が伝わったと考えるのが自然でしょう。ちなみに日本最初のお寺は、590年代に建てられたとされています(このあたりも、「どこが最古の寺か」については諸説あります)。
中国から日本に仏教が入ってくるときに、「掛け軸」もまた伝わってきました。もともと掛け軸は「仏教を広めるためのもの」だったわけですから、この流れはごく自然なものだったといえるでしょう。
掛け軸がはじめに伝わったお寺は、現在でも名高い「法隆寺」だったとされています。
現在でこそ掛け軸は「鑑賞するためのもの」「絵を楽しむためのもの」という解釈をされることが多いものだといえますが、このときは「仏具」とほぼ同じ扱いをされていました。
仏像などと同じ扱いであり、礼拝に使うもの・敬うべきものとして掛け軸が存在していたのです。
この傾向は、特に飛鳥時代~平安時代において顕著でした。掛け軸は平安時代のころに表装(掛け軸を保存したり鑑賞したりするために行われる措置で、紙などを使って整えること。また修復のことも指す)が行われていたとされています。
ただこの頃の掛け軸は、上流階級の貴族や僧侶のためのものでした。
ほかの文化の多くがそうであるように、元々は貴族(や僧侶)の文化であったものが、時代がくだるに従い、鎌倉時代に広がった「禅宗」と結びつくようになります。
禅宗とともに、「水墨画」の文化も日本に入ってきました。禅宗を広めるために禅宗の僧侶たちは、この美しい文化である水墨画を使います。そしてこの水墨画となじみやすい「掛け軸」の文化もまた、一般庶民に広まっていくことになるのです。
当時の掛け軸はこの禅宗の「水墨画」の影響を強く受けていましたが、徐々にそれだけではなく、「自然の後継を写し取る」という文化が広がっていきました。また掛け軸をよりきれいに見せるために、掛け軸自体に装飾も行われるようになります。
さまざまな層に広がっていた掛け軸は、茶の湯との相性もよく、茶の湯で亭主を務める人は、それぞれの意図を反映させられる掛け軸を選ぶようになりました。
町人文化が花開いた江戸時代においては、「自らの姿を絵師に描かせる」という文化も広まるようになり、掛け軸はさらに多様性を持っていくことになります。
<仏具としての掛け軸の観点から>
ここまで見てきたように、現在の「掛け軸」が持つ意味は一つだけではありません。
ただここでは、「仏教の掛け軸」「仏具としての掛け軸」をメインに取り上げていこうと思います。
仏具としての掛け軸の場合、「本尊」の掛け軸を仏壇の中央に配して、その両脇に「両脇侍」と呼ばれる掛け軸を配するのが一般的です。
またこの「本尊の掛け軸」は「仏像」と同じ意味があります。そのため本尊の掛け軸を置くことなく、仏像を中央に据えて、その両脇に両脇侍を置くこともあります。
「仏像を置くか、それとも本尊の掛け軸を置くか」についてですが、これはどちらか片方が正式で、どちらか片方が略式である……という意味ではありません。そのため基本的にはどちらのやり方をとっても良いでしょう。ただし掛け軸には種類があるので、菩提寺などに確認すると安心です。たとえば浄土真宗本願寺(西)の場合は、中央に阿弥陀如来の本尊を配し、両脇に蓮如上人と親鸞聖人を配します。
また、「南無阿弥陀仏」と書かれた掛け軸を掛けることもあります。これは「阿弥陀仏に帰依する」とする意味を持つものであり、「息を引き取った後は極楽往生ができますように」という願いを込めて掛けるものでもあります。これは掛ける側の気持ちや願いを反映して掛けるものですから、仏壇そのものとはあまり関係がありません。
ちなみに仏壇に掛ける掛け軸を探している場合は、きちんと「サイズ」を測ってから購入する必要があります。掛け軸3枚分の大きさは「代」という単位で示され、市販の仏壇は30代・50代・100代・150代……などのような大きさで示されます。
当然、30代の仏壇よりも50代の方が、50代の仏壇より100代の仏壇の方が、100代よりも150代の仏壇の方が大きな掛け軸を掛けられます。ちなみに30代で、10.3センチ×25.8センチ程度の掛け軸が掛けられます。
掛け軸は、仏教の布教に大きく関わるものとして発展し、現在でも「拝するもの」という性質を有しています。ただその一方で、「芸術品」としても発展していったのは、掛け軸の面白い点だといえるでしょう。