〔あおき葬祭コラム〕第48回:~星野源さんと新垣結衣さんの結婚によせて~和顔愛語とは

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星野源さんと新垣結衣さんとの結婚に関して「和顔愛語」という言葉をニュースで知りました。

今回はこの「和顔愛語」について解説していきます。

<星野源さんと新垣結衣さんの結婚が発表された5月19日>

2021年の5月19日に、40歳の星野源さんと32歳の新垣結衣さんの結婚が発表されました。ドラマ「逃げるは恥だが役に立つ」で共演したお二人の結婚は、多くの人の耳目と注目を集めることとなりました。お二人のご結婚のニュースをみて、驚きと喜びを抱いた人も多いのではないでしょうか。

この結婚の第一報が報じられた後も、マスメディアの注目はやむことなく、さまざまなシーンでお二人へのインタビューなどが行われました。

新型コロナウイルス(COVID-19)流行下でのこの明るいニュースは、多くの人に歓迎ムードで迎え入れられました。

さて、そんななか、NEWSポストセブンが、「そうか、新垣結衣はここにほれたのか 星野源“和顔愛語会見”120秒の凄み」として、穏やかに会見を行う星野源さんの様子を報じました。

このときに出てきた「和顔愛語」という言葉の意味を、即座に解説できる人はそれほど多くはないと思われます。

今回は、この聞きなれない単語である「和顔愛語」について取り上げ、その意味や使われ方を解説していきます。

<実は仏教用語! 「和顔愛語」の意味についての解説>

「和顔愛語」は、基本的には「わげんあいご」と読みます。また、「わがんあいご」と読むこともあります。

この語句を解説しているかどうかは辞書によって異なりますが、人の様子を表した言葉のうちのひとつです。

「和顔」とは、柔和で優しく、穏やかな表情・顔を指す言葉です。対して「愛語」とは、文字通り、愛情のこめられた言葉を指す言葉です。この2つを合わせて、「柔らかな表情と穏やかなお顔で、優しくて愛情のこもった言葉、またそれを交わし合うこと。愛情と優しさを持った表情で、人に接すること」をいいます。

あまり知られてはいませんが、実はこの「和顔愛語」は仏教から端を発した言葉です。日本では仏教から生じて、根付いていった言葉がたくさんありますが、和顔愛語もまたそのうちのひとつだといえるでしょう。なお、和顔愛語という言葉の歴史や仏教における解釈については後述します。

この言葉は恋愛関係にある人同士に対してのみ使う言葉ではなく、パートナー以外の人との接し方についても使われます。

上で挙げた同記事においては、マスメディアの質問に穏やかで寛容に接する星野源さんの対応を示すのに、この「和顔愛語」という言葉が使われていました。

人が人に対して、広くとるべき態度であるとされている「和顔愛語」の精神の歴史とその考え方についてみていきましょう。

<「和顔愛語」という言葉の歴史は、なんと今から1750年近くも前にまでさかのぼる>

「和顔愛語」という言葉の歴史は、実に1750年ほども前にまでさかのぼります。

現在のウズベキスタンあたりの土地(当時の国名で「廉居国」)を出身とする廉僧鎧(こうそうがい)が、現在の中国河南省西北部(当時の「洛陽」)の白馬寺にて訳したとされている「無量寿経(むりょうじゅきょう)」といわれる書物の下巻において、この「和顔愛語」という言葉が出てきます(※本当に廉僧鎧が訳したものかどうかについては諸説あり、ほかの人が訳したとする説もあります。この説を採用した場合、その訳が完成したのは421年であるとされます)。

なお、無量寿経とは、大乗仏教の経典のうちのひとつであり、浄土教の聖典でもあります。「大無量寿経」あるいは「大経」と呼ばれることもあります。

無量寿経は、

・はるか大昔、法蔵菩薩が悟りを得ようとして、あらゆるものを救うために長い修行を重ねて本願を達成した。そして法蔵菩薩は、阿弥陀仏となられて、西方浄土で説法を行っているという歴史

・極楽浄土の様子

・極楽浄土への往生を志す人は、上・中・下に分けられる

・念仏などを唱えることで、極楽浄土に行ける

などを書いている書物です。

浄土教における信仰のありようを形態的に解説したものであり、浄土思想の基本となるものでもあります。そのため、この無量寿経についての解説本も多く作られています。

さてこのなかに、“「無有虚偽諂曲之心、和顔愛語、先意承問。」「」「虚偽諂曲〈こぎてんごく〉の心あることなく、和顔愛語〈わげんあいご〉して、先意承問〈せんいしょうもん〉す。」―引用:レファレンス共同データベース、レファレンス事例詳細/岡山県率図書館(2110029)「和顔愛語の読み方、意味、出典が知りたい。」

https://crd.ndl.go.jp/reference/modules/d3ndlcrdentry/index.php?page=ref_view&id=1000061578”とあります。

これは、現在の言葉で訳するのならば、「穏やかで柔らかい表情をして、優しくて愛情を込めた言葉を語り、相手の心をよく考えて相手のためにできることを自らに問う」となります。

優しくて柔和な態度と言葉で相手のためを思って動けるようにするにはどうしたらいいのか、を自らに問い続けることが必要であるとしているのです。

<仏教における和顔愛語の考え方と、その意味について>

この「和顔愛語」は、仏教の考え方である「無財の七施(むざいのしちせ)」にも通じるところがあります。仏教では「寄進」という言葉がある通り、財物をお寺などに寄付することで徳が積めるとしています。しかしたとえ寄進できる財物がなくても、徳を積める方法はあります。無財の七施はそれを説いている言葉と考えてください。

無財の七施とは、

1.眼施(げんせ)……心優しいまなざしで人に応対する

2.和顔悦色施(わげんえつじきせ)……にこやかな笑顔で人と対応する

3.言辞施(ごんじせ)……優しい言葉を使う

4.身施(しんせ)……自分の体を使って行えることを行う。たとえば重い荷物を持っている人を助けるなど。

5.床座施(しょうざせ)……電車などで席を譲る

6.心施(しんせ)…人の痛みや喜びを自分のものと考える心を持つ

7.房舎施(ぼうじゃせ)…仏教の修行を行う人や困っている人に、急速の場所を与える

を指す言葉です。

「和顔愛語」は、このなかでも、1~3にあたる言葉だと考えれば良いでしょう。

不機嫌な人は周りにその不機嫌さを伝播させ、周りの空気をも悪くしてしまいます。しかしいらいらしてしまいがちな時や不機嫌になってしまいがちな時であっても、人に優しく柔和な声を掛けられる人は愛されます。そのような心掛けは周りにも影響し、周りもまた同じような態度をとることが多くなるでしょう。

「和顔愛語」とは、「自分が接する他の人に対する思いやり」であり仏教修行であると同時に、「自分が心地よく、平常心をもって過ごすためのコツ」でもあるのです。

そのため、リーダーを志す人や周囲のパフォーマンスを上げたいと考える人にとっては、特にこの「和顔愛語」の精神は重要だとされています。(※もっとも、僧侶によって考え方には違いがみられ、「ほかの人に良く思われたいための行動ならばそれは修行ではない」とする説をとる人もいます。このあたりは人によって考え方が分かれるとみるのが自然です)。

「和顔愛語」という言葉そのものは、現在の私たちにとってそれほどなじみ深いものではないかもしれません。

しかしそこで語られる精神性は、「人とのコミュニケーション」における基本であるともいえます。星野源さんは、まさにこの精神性にのっとった対応をされていらしたのでしょう。

自分がイライラしてしまいそうなときこそ、この「和顔愛語」を心掛けていきたいものですね。