「仏教」と一口にいっても、その宗派はさまざまです。ここでは、「天台宗」について取り上げます。
なお、「宗教」「宗派」「宗旨」の使い分けは非常に難しいものですが、ここでは、
宗教……キリスト教や仏教、神道、イスラム教などのくくり
宗派……プロテスタントやカトリック、曹洞宗や浄土宗といったくくり
として言葉を使っていきます。
<天台宗は在来仏教のうちのひとつです>
「仏教」は非常によく知られた宗教であり、世界中で信仰されています。そして、非常に長い歴史を持ちます。この長い歴史のなかで、また世界中に広がっていくなかで、仏教の教えはさまざまな方向に分かれていきました。
そのため、昔からある仏教でもそれぞれ異なる宗派に分かれたのです。
昔からある伝統的な仏教のことを、「在来仏教」と呼びます。近年に出来た宗派は「(仏教系の)新興宗教」などと呼ばれ、この2つは明確に区別されます。その具体例の最たるものとして挙げられるのが、「お墓」です。
お寺の墓地(寺院墓地とも呼ばれる。寺院に隣接している墓地であることもあるが、寺院から少し離れたところに存在する場合もある。寺院が管理する)のなかには、厳密に、「浄土宗のお寺だから、浄土宗の教徒しか受け入れない」としているところもあります。しかしこれはそれほど多くありません。また現在は、「無宗教の人であっても、また生前は違う宗教を信じている人であっても受け入れている」としているところもあります。
ただ、「自分たちは浄土宗のお寺であり、生前に在来仏教を信じていた人のことは受け入れる。しかし新興宗教などを信仰していた人は受け入れない」としているところはそれほど珍しくはありません。
このように、仏教のなかでも、「在来仏教か、それともそれ以外か」で、その弔い方法も大きく違ってくるのです。
なお、天台宗は在来仏教の1つと考えられています。より正確に言うのであれば、「天台系」のなかに分類される「天台宗」が在来仏教に分類されると考えるべきでしょう。
なおこれ以外には、
・奈良仏教系(律宗など)
・真言系(高野山真言宗など)
・浄土系(浄土宗など)
・真宗系(真宗大谷派など)
・臨在系(臨済宗妙心寺派など)
・曹洞系(曹洞宗など)
・黄檗系(黄檗宗など)
・日蓮系(日蓮宗など)
が在来仏教として取り上げられます。
「自分の家は仏教徒である」というところまでは知っていても、自分の家の宗派までは知らない人も多くみられます。しかしこれは葬儀のときなどにほぼ必須となる情報ですから、事前に親御さんに確認しておくとよいでしょう。またそのときには、菩提寺のことも聞いておくとスムーズです。
<天台宗について知っていこう~天台宗の歴史について>
ここからは、「天台宗」についてより深く知っていきましょう。
まずは天台宗の歴史からです。
天台宗の祖は、もはやだれもがその名前を知る「ブッダ(ゴーダマ・シッダールタ、釈尊とも)」です。その教えは、東南アジアや中央アジアに広まり、やがて中国へと広がっていきます。そのブッダの教えを記した「経典」は、非常に重要なものとして扱われています。
それぞれに解釈に違いはあるかもしれませんが、天台宗においては、「経典のなかでも、妙法蓮華経(法華経)がもっともはっきりと、ブッダの考え方を表している」ととられています。
この妙法蓮華経の教えを研究し、体系立って解釈したのが「智顗(ちぎ)」と呼ばれる僧侶でした。この僧侶が活躍した時期は、538年~597年の時期だったとされています。中国の八大古都とされている「杭州(こうしゅう)」の南にある山で過ごしたとされる僧侶であり、数多くの弟子を育てました。なお、その山の名前を、「天台山」といいます。「天台宗」という言葉は、智顗の過ごしたこの山からきているのです。
数多くの弟子を育て、後進の育成に努めた智顗は、亡くなると「天台大師」と呼ばれました。また智顗の残した学問は天台教学と呼ばれるようになりました。
天台宗の教えや歴史を紐解こうとするとき、「天台宗の祖は最澄である」という文章を見ることがあるでしょう。これは、一見すると、上で述べたことと矛盾するかのように思われます。しかし実際には、「天台宗の祖は智顗である」とする説と「天台宗の祖は最澄である」とする説は、まったく矛盾しません。
日本の仏教は、中国から伝わってきたものです。そのため日本は中国に遅れて、仏教の考え方に触れることになります。当時日本で仏教を学ぶ僧侶の多くにとって、中国で仏教を学ぶことは生涯の憧れのうちのひとつであったと考えられています。
最澄は12歳で僧侶の弟子となり、18歳のときにはすでに正式な僧侶となった人物です。そして最澄は長ずるに従い、智顗の教えを極めたいと考えるようになりました。時の天皇からのサポートを受けて中国に赴いた最澄は、そこで、天台宗の祖となった天台山に行くことになります。そしてそこで天台宗を学び、教えを書き写します。その後さらに禅の考えと密教の考えを学び、日本に帰国します。
日本に帰国したのち、中国で学んだ仏教を基に、最澄は「日本天台宗」の基礎をかたちづくっていきます。そして、「日本における天台宗」が花開いたのです。なお、天台宗の日本の総本山は「比叡山延暦寺」です。比叡山延暦寺は、織田信長とも縁の深いお寺として有名です。
智顗は天台宗そのものの祖である存在で、最澄は日本の天台宗の祖であるわけです。
<天台宗の教えを知る>
ここからは、「天台宗はどのような教えを説いているのか」について考えていきます。
天台宗の考え方の基本となるのは、以下の4つです
1.すべての人間は仏様の子どもである
2.悟りに至るまでの方法を、すべての人に開放する
3.自分自身の身の内に仏様をお迎えする
4.一隅(いちぐう)を照らす
1.すべての人間は仏様の子どもである
天台宗では、「すべての人間は仏様の子どもである」と考えます。これは3とも通じるのですが(このため、1と3を合わせて論じる専門家もいます)、私たちは心の内側に悟りにたどり着くための基礎を持っているとします。そしてその基礎をどのように育てていくべきかを考えるべしとしているのです。
2.悟りに至るまでの方法を、すべての人に開放する
悟りは、厳しい修行によってのみなされるものではないと天台宗では考えます。悟りに至るための道筋は日常生活のなかにもたくさんあり、真実を探求していくことが重要であるとします。
3.自分自身の身の内に仏様をお迎えする
天台宗では、「お授戒(おじゅかい)」とは、信者などに戒を授けることをいいます。天台宗ではこれによって仏様を見のうちに迎え入れられると考えます。そのため、お授戒会などがよく執り行われます。なお、仏様とともに生きる人のことを「菩薩」と呼びます。
4.一隅(いちぐう)を照らす
「一隅」とは、「片隅」のことをいいます。また天台宗では特に、「その人一人ひとりが置かれている場所」を差します。多くの人が手を取り合い生きていくことで、世の中を照らすことができると考え、またその光が広まっていくのだと考えます。
天台宗はご本尊として阿弥陀如来や釈迦如来を抱きます。また、葬儀では妙法蓮華経をとなるのが基本となります。1500年近くの歴史に育まれた天台宗は、さまざまな波乱を刻みながらも、現在も数多くの人の心を照らし続けているのです。